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バックヤード

アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」としんどい私と様々な次元の話

爽やかジャスティスがあまりにカリスマレジェンド。

 

 年の瀬が迫っております。皆様いかがお過ごしでしょうか。住んでいるところが風が強くてつらいです。そのほかは概ね元気にやっております。

 

 タイトルが雑なんですがいかんせんいろいろ言いたいことがあってどの順で喋ろうかを考えていたんですが、うーむどうしようかな…

 本題から行こう。今更松ステを見ました。

 松ステ、正式名称「おそ松さん on STAGE ~SIX MEN’S  SHOW TIME~」 ドコモさんありがとう…

 結論から言うとすっごい楽しかったです。すごいな…

 

 えっと、ここから先はネタバレ(そもそもバレるとアレというようなものもない気がするんですが)というか感想を含みますので、見ていない、バレたくないという方は急いでドコモさんのところへ行くかこのページを閉じるかしましょう。それから私は後述しますが役者さんとスタッフさんと業界に全く詳しくありません。その辺は生暖かい目でご覧下さい。

 

 

 

 細かいコメントとか言いたいこととかはもちろんいっぱいあるんですが(トト子ちゃんがあまりに本人だったとか)、それは別の場所でやるとして、とりあえずよくこういう形に落とし込んだなと。

 まず構成。起承転結すら微妙なサイズ感の小話を繰り返す、というスタイル。原作準拠っちゃあそうなんですが、あれを舞台でやるのって結構冒険だと思う……

 オリジナルの2時間or2部構成で1時間ぐらい持つ話の流れを作り上げることだって選択肢としてなかったわけじゃないと思う。でもそうしなかった。ニートが特に目的もなくだらだらとだべる話をやりきった。

 その展開とかぶん投げる感がですね、F6がいることで成り立ってるんですよ。これすごい発明だと思う。F6持ってきたことでテンポを保って、切り替えて、2時間やりきれるわけですよ。あれ舞台2個分を小刻みにやってるんだ。F6はF6で彼らは「すごい」「やばい」「存在がオチ」というテンプレ芸が持ち味なので、あれは小出しで見ないとたぶんしんどいと思う。あれがギリギリのバランスで、お芝居として成立する範囲かなぁと思いました。

 

で、前述しただらだらだべる話、というような内容の話。

 アニメの話をするんですが「おそ松さん」って「この声優陣とか乙女ゲームかよwww何昭和のマンガで女子釣ろうとしてんのwww」っていう声にドロップキックをかましてから内容としては取り立てて女子向けでも男子向けでもない話を延々とやったわけじゃないですか。予想されていた観客と、目標としていた観客と、実際来た観客っていうのがあるんですよ。

 で、じゃあ舞台はどうなんだって言うと、これもやっぱり「舞台化!2.5次元!」っていうとどうしてもまぁお客は女性ファンだろうなと。俳優ファン加えるにしても割合としては女性が多いだろうなと。で、じゃあ彼女らは何が見たいのか、そして何を見てきているのか、何を見られるだろうと期待してやってくるのかと、そういう話になる。

 お前が女性ファンを代表してんじゃねぇよって意見はもっともだしその上2クール「殺してくれ…」って言いながら見ていた自分は一般的ファンではないことを承知の上で言うんですが、松に女性ファンがついた要素のうち結構コアの部分に、「青年たちがわちゃわちゃと日々を送るところを眺めていたいという欲求」っていうのはあったと思うんです。最近話題のFF15(やってません)。だからここを外すとたぶんお客が見たいものとずれるんですよ。舞台にするとあのアニメの絵柄が消える声が消える、じゃあ残すべきところは何か、という話になる。

 というわけで舞台の六つ子たちはだらだらする。やってること基本的に釣り堀行って寝て起きて朝ごはん食べてだらだらして昼寝して(その間に夢でいろんなことがあったけど)飲みに行って寝る。これだけ。アニメでももっといろいろスペクタクらなかった??っていうレベル。トイレに行くだけのミクロの話で時間を使う。

 で、それでですよ、「おめーらこういうもんが見たいんだろwwww」という部分を全部F6に振った。世界を救った。スパイになって爆弾処理をした。銭湯で脱いだ。なんか幕末志士になった。アイドルとして歌い踊った。

 これ、その事実をギャグだと思いたい人は笑えばいいと思うし、そういうものが見たかった!という人はサービスとして楽しめばいいと思うんですよ。アニメ1話だとニートと同人格なので完全ギャグというかこっちを殴りに来てるんですが、今回のF6があまりにF6なのでそれなりに成立しちゃってる。気付かなかったよ、舞台ってお前らにぴったりの装置だったんだ…

 

 唐突に私事になります。先月あたりからかな、母親がジャニヲタになりました。

 これ結構私としては衝撃的かつめちゃくちゃ面白い出来事で、オタクという概念を齢50にして初めて手に入れた母、観察していてめちゃくちゃ興味深いです。母と話してそっか!って思ったのは「布教」っていう言葉を「推してるものを紹介する」っていう文脈で使うのってオタクローカルだったんですね…あまりに日頃使ってて気付かなかった…。あとは母がオタクという概念を手に入れたおかげで、自分がオタクであることがしんどい私はだいぶ楽に息ができるようになったというのはあります。ジャンルが違ってもオタク同士は何かをわかち合えるものです…。まぁそれはさておき、そのおかげで私、初めて本物のアイドルのライブDVDというのを見る機会に恵まれたんですよ。

 これだけアイドルアニメを見たことがありアイドルパロを目にし続け生きてきたのに、初めてきちんと見たモノホンのアイドル、めっちゃアイドルなんですよ(語彙力の墓場)。某5人組さんなんですけど、すごいのね、踊るし、歌うし、走り回るし、むちゃくちゃかっこいいし、すごい回数衣装変わるし、光るし、観客の数やばいし、なんかバスみたいなのとか走るし、上からロープみたいなので降りてくるし、でかいステージ装置乗って動くし。全部当たり前の人には当たり前だと思うんですが、案外知らない人は知らないもんなんですよ。すごいなアレ。一回見たことない人は機会があったら見てみると良いと思います……。パロ元を知るのは大事だ……。

 脱線ついでにぶっちゃけてしまうんですが、実を言うとここまで松ステチケット取らずに視聴せずに情報も集めずにきてしまったのは、やっぱりちょっと怖かったせいでした。だってーーーー!怖かったんだもんーーーーー!監督も脚本も絵柄も背景も声も次元も違う松を見るのーーーーー!というわけでスルーしてきたんですが、先日、友人に誘われて別のジャンルで2.5次元デビューをしてきたんですよ。ヘタミュなんですが、これがめっちゃ良くてですねーーーー。劇場ってすごい。脳に直接流し込まれる感じすごい。再現したり新しいもの作ったりする工夫がすごい。役者さんたちが頑張ってるのすごい。なんていうのかな、松ステもそうだったんですが、そのキャラそのものかって言ったらそうじゃないんだけど、役者さんそのものでもなくて、なんかこう、不思議なその期間その場所限定の生き物としてすごく愛おしいなっていう感じがありますね。というわけでだいぶハードルが下がりまして、今回の視聴に至りました。

 ついでに最近唐突に仮面ライダーにハマりまして、某プライムさん会員(なると仮面ライダーシリーズ見放題になる魔の兵器)になっていたのは松ステのためにDTV会員になるというソフト面でのハードルを下げてくれました。怖いじゃんああいうのに登録するの……(社会性の欠如)

 

 というわけで様々な方向性で2.5?3?あたりの次元への信頼感を得つつあったのもあり、松ステ大変に楽しめました。F6は英断、ということで締めちゃうみたいになっていますが、なんていうのかな、「舞台」という枠で楽しく、ピントの合った、最良のものを整えようと努力してくださった結果こういうふうになったかな、という感じなので超満足です。叶うことなら十月にタイムスリップして劇場の席であの冒頭のはなまるぴっぴを脳に直接流し込まれたい。関係者のみなさんありがとうございました。

 

 

お粗末様でした。

近況報告と告知

大変ご無沙汰しておりました。皆様お元気でしょうか。

私も大変元気に社会人ライフを送っております。最近コップのふち一松くん(withエスニャン)と同棲をはじめました。今期のアニメはモブサイコ100だけ見てます。面白いぞ。

というわけで今回は感想でもぐだぐだ語りでもなく、お知らせがあるので更新するのですが、でもせっかくなのでね、ついでにちょっと語らせてね

 

おそ松さんオリジナルサウンドトラック」はいいぞ。

 

まず曲数がすごい。なんか80曲以上入ってる。作りすぎじゃないかと思ったらコメントに「勝手に作って送りつけてる」ってあったので愛されてるなぁと思いました。
あと全部にコメントがついてるのもすごいなと思いました。これはどこどこで使う用に作ったとか、どんなコンセプトだとか。カラ松のテーマが本当に「カラ松のテーマ」という曲名になったくだりとかめちゃくちゃ面白かったです。

それからこうやってまとめて聴くと、ほぼ全部あったあった!!って言えたのでサントラの存在感を感じましたね。だいたいサントラ集って印象的なのを覚えてて、あとはこんなのあったっけ?見直したらあああったあったほんとだ、みたいなのあるじゃないですか。そういうのがすごいなと。

あと曲の並びが別に使用順というわけではない並べ方なのでそういうのもちょっとセンス感じて好きですね。アレンジ違い並んでたりするとあーーーこの曲をこうしてここで使うのか~みたいなのが楽しい。でもなぜエスニャンと十四松の恋を並べたのか…瀕死の重傷ゾーンみたいになってしまう…

買って損ないというかえっCD二枚も入っててジャケ箱可愛くて80曲以上入っててこのお値段でいいの…?って感じなのでおすすめします。あと流すと作業がすごくはかどるぞ。

OPED含めて私は松の音楽のなんだろう方針?コンセプト?みたいなもの自体大好きなのでこうやってまとめてくれるのは本当にありがたいですね…漫画とか小説って基本的に作者、入って編集者と装丁家じゃないですか。アニメって本当にいろんな角度の人がいろんな方法でアプローチしてるんだなぁと。しみじみ。

 

というわけでサントラCDの販促でした。

 

本題です。「2016年度国際松野学会秋季大会予稿集」という同人誌企画に参加いたします。

告知Twitterアカウント:@ISMS2016tky

 

テレビアニメ『おそ松さん』に関する考察や研究や評論のアンソロジーです。
私、千里ヒロも論文を寄稿させていただきました。

こんな形で松ジャンルの初オフ活動デビューです。ジンセイハワカラナイ

題は「『おそ松さん』におけるキャラクターの「役割」と「成長」」となります。基本的にここで喚いているようなトンチキをできるかぎり冷静に真面目に書いています。
題はこんなですが内容は作品論です。というかほとんどチョロ松の話しかしていません…肩書きが長男研究室所属なのに……

2016年10月9日家宝は寝て松スパーク11で頒布予定ということで、私は現地にはいないのですが、お手にとっていただけると嬉しいです。というか、メンバーと予定内容だけでワクワクがとまらないぜというか、そもそも企画段階でドキドキがとまらないぜという感じなので、私がとても楽しみです。

詳しくは上述した告知アカウントをご確認ください。よろしくお願いいたします。

 

それではまた!お粗末さまでした!

「おそ松さん」としんどい私と「旬」との付き合い方の話

どうもお久しぶりです!!ご無沙汰しております!!皆様お元気でしょうか!

 

最近冷静に考えてみて気づいたのですが、「おそ松さん」アニメ開始が10月、このブログの最初の投稿が11月、そして今が8月、ということで、あと2ヶ月ほどで放送開始から1年が経ちます。

早くないですか???もうすぐ!!!1年!!!!

まだ、気づけばグッズが出ているしイベントがあるしコラボがあるしそういえば今日はサントラアルバムのジャケット公開がありましたねうわー楽しみ、というかんじで、正直終わった気がしていない。いやいや正確に言うと地方局ではまだ「本放送」をやっているので厳密に言えばおそ松さんは終わっていないとも言えます。それに、先月あたりには、ブームが来てから企画が立ったであろう雑誌特集のラッシュがあったりなんかもして、入ってくる情報の量が衰えません。否、公式が毎週情報を出していく形式がなくなったが故に個々の情報は今の方が追いづらいと言えます。どこかで線を引かないと死んでしまうよ。

という時期になってやっとできるようになることなのですが、このあたりで1度、「おそ松さん」というものの流行について考えてみたいと思いました。今これをやるのは実はもう一つ理由があるのですが、それはとりあえず置いておいて、このブームを経験して、つまりは「おそ松さん」という社会現象を通過して私に何が起こったか、ということを書いておこうと思います。

 

おそ松さん」が受けたということ、これはもうとりあえず間違いないことだと思います。私は普段アニメをジャンルとして見ているわけではない(作品単位で見て、このクールにやっているものをとりあえず全部見てみて、というような見方をしない)ので、正直に言うと普通のアニメというものがどのぐらい見られれば、売れれば、話題になれば、当たったと評価されるのかが皮膚感としてわかりません。しかし、毎クール、「覇権」と呼ばれるような当たりアニメが大なり小なり現れますが、松はそういった中でも頭一つ以上抜けた相当なブームになったことは確かだと思います。

唐突に私の母の話をしますが、私は母に、貴方の娘は「おそ松さん」というアニメにはまっていて、そしてそれはけっこう人気なのだ、ということだけを伝えました。するとしばらくして母から、「あなたに言われたら、世の中のいろんなところでその話題を目にすることに気づいた」と言われました。世の中の情報というもの、とくにサブカル周りの情報はチューニング次第で見えたり見えなかったりします。普段チューニングを合わせていない人に届き始めたかどうか、というのがジャンル内での人気と社会的流行の分かれ目なのかもしれません。ちなみに現在でも母は何かしら街中で松を発見すると私に嬉しそうに報告に来ます。舞台化の話は母から初めて聞きました。ちょっと冷や汗。

 

閑話休題。そしてそんなおそ松さんに対し、多くの人が様々な印象や感想を持ったわけですが、私はそういった人々を見て、わかったことがあります。

それは、「人間は“流行”というものに対して大変に無防備になる」ということです。

 

アニメに限らず、何でも今の旬はこれ!これが流行り!これがナウ!というものが出現すると、まずはもちろんその流行に乗る、意図的、結果的問わず、流行っているものを受け入れ享受する人というのが現れます。流行っているもの、他人から高評価を受けているものは、より魅力的に人の中へと侵入します。同時に、そういった流行りのものを受け入れない人というのも現れます。単純にそれを魅力的だと思えなかった人に加え、流行っているから受け付けないのだという人もいます。

もちろん流行するということには弊害もあって、それが出現したことによって自分が前から好んでいたものに影響が出た、という場合や、それが流行ったことによって何らかの問題が起きた場合、また、それを好んでいる人の母数が多いわけですから、その流行に乗っている人から何らかの被害を被る確率もまた上がるわけです。その害を嫌う人がいます。当然のことです。

さらには、流行に乗るという行為自体を嫌う人も存在します。これは根深い問題で、その旬のものを好んでいる人の中にさえ、私は別に流行りに乗っているわけではない、これが良いと思ったから、いや、流行る前からこれが好きだったのだ、と主張したがる人もいます。流行りものだと評価されるのを嫌がる人もいます。

 

何が言いたいのかというと、「何かが流行っている」という事実は、それに乗ろうが乗るまいが、その何か自体の問題を超えて、人の心のわりと面倒くさい部分をぐっちゃぐちゃにしていくということです。

 

はいここで、前述したなぜ今この話をしなくてはいけないか、という話をするんですが、それは最近「松」ではない別の流行が社会に大々的に広がっているからなんですよね。はい、ポケモンGOです。皆さん、歩いてますか?

ポケモンGOが出てきて、ポケモンに関する思い出話をしてくださる方がいっぱいいて、私もいくつか読みました。そして、ああ、これ私だけじゃないんだ、とわかったことがあります。

流行りとうまく付き合えなかったというコンプレックスは、思ったよりも人の心に大きな傷を残す。

私は小学校の頃、徹底的な流行りに乗れない小学生でした。ポケモンをやったことがありません。ゲーム機が家にあったことがありません。マリオもスマブラどうぶつの森も経験がありません。友達の家に行って、ちょっとコントローラーを握らせてもらって、下手くそと言われてすぐに返します。ジャニーズとモーニング娘がわかりません。NEWSの下敷きを見せられて、誰が好き?と問われた時の恐怖。ポケモンいえるかなが歌えなければ人ではないという世界。唯一見させてもらっていた、学校へ行こうのありがたさ。

単純な情報の受け取りだけの問題ではなく、そこには人間関係や他者からの評価や、そこからの自己評価、ひいてはプライドの問題までもが絡んできます。あれは実はつまらないものなんだから、それも知らずに騒いでいる奴らの方がかわいそうだ、と自己防衛してみたり。この捉え方は重ねすぎるとその重みでなんというか精神の根底が歪みます。小さいことだけど、これらの積み重ねの恨みって、恐ろしいんだぞ。

私のスマホは古いので、ヴァージョンの問題でポケモンGOができません。私はまたこの流行に乗ることができません。代わりに私はこの感情の原泉と行き先を考え続けます。

 

おそ松さんは私にとって、ほとんど初めてと言っていいレベルの、流行のはじめからを、当事者として追い続けられた経験です。

私は、この作品は大きな評価を受けるに値する作品だったと思いますし、初めてアニメ雑誌を購入したり(ananも買ったので女性誌も初購入かもしれない)、巡回ショップに出向いてみたりしたことで、知らないことや場所もいっぱい知ることができましたし、アニメの見方も変わりました。ついでに言うと、こういう場所で読者を得られたのも、「旬ジャンル」について喚いていたからだというのはとてつもなく大きい。そして何よりも「私は今楽しめるものを最大限に享受している」「それを他の誰かと共有している」「この時代を生きている!!」という感覚がすごく嬉しかった。

 

おそ松さんにはまったあたりからでしょうか、私は「評判の良いものは何かしら興味深いところがある」というスタンスを持ちやすくなったような気がします。キンプリを見に行きました。やっぱりすごいなと思いましたし、いろいろなことが分かりました。Twitterで見かけた人気のバーに行きました。内装はすてきで飲み物は美味しかったです。山登りに行きました。なぜわざわざそれを趣味にしている人がいるのか、なんとなく分かりました。トッティの気持ちもわかりました。そりゃあ時にはダフることもあれど、世界にはきちんと面白いものを作ろうとしている頭の良い人と、面白いものがそこそこあります。それは、この世界も捨てたもんじゃないという一種の確認行為です。

 

ポジティブなものにしろネガティブなものにしろ、流行は人の心のむき出しなところに、大なり小なり、自覚的に無自覚的にダイレクトアタックします。流行に乗れとか乗るなとかそういうことを言っているのではない。そういうものなんだという認識と諦めと、時々の世間への信頼度確認が、SNSなどでものごとの盛衰が見えやすくなった世界を生きやすくする方法なのかなというように思います。

 

ものごとの寿命がどんどん短くなっていく昨今、しがみつける間はしがみついていようというような気持ちでいます。今踊るか、踊らないのか、そういう自由が、小学生の私にはありませんでしたが、今の私にはあります。私はまだ踊れるぞ!!!そしてこれを読んでくださっているあなたにも、例えばもしも私が30年後に、あの頃流行ったおそ松さんとかいうものを見てみようかねぇと見て、パッションのままにこの文章を書きなぐっていたとしたら、おそらく出会えていないでしょう。今はまってくれて!ありがとう!!一緒にはまってくれて!!ありがとう!!

 

という感謝の言葉で、今回は締めたいと思います。

 

お粗末さまでした。

「おそ松さん」ドラ松CD カラ松オンステージと彼らの有罪証明の話

尾崎を聴きながら書いてます。

 

戻ってきてしまった。お久しぶりです。元気にしております。

なんで戻ってきたかって、この話がしたかったからです。どん。

 

おそ松さん」六つ子のお仕事体験ドラ松CDVol.4

もしも松野カラ松・松野一松が弁護士だったら

 

そういえばなんですが、Vol.2Vol.3の話をしてなかったですね。何故だ。すみません次回やります。とりあえず今回はパッションでこっちの話をさせてください。

発表された当時から「ざわ」「ちゃんと成り立つのか」「会話できるのか」「ざわ」と言われていた二人でしたが、ついにきてしまいました。今日聞きました。一言で言ってつらい。

 

先に聞いておお、と思ったことを書いておくんですがこの二人ってあの6人の中だと声似てるんですよね。それをしみじみ感じました。たぶんカラ松、中村さんの声が「朗々としているけどどこかハスキィ」なんですけど、それで一松の声というのが「ハスキィ」(福山さん曰く完全に喉で出している声)。カラ松が今回ものすごいいろんな声の出し方してるのでそうするとちょっと潰した雰囲気にした時にすごい似るんですよね。いやぁキャストトークでも言っていたけれどカラ松って「素(だいたい泣いてる)」か「カッコつけ(わりとワンパターン)」だったのでいろいろ聴けて本当に楽しい。

 

というわけでここからは毎度のことですが盛大なネタバレです。自己責任でお願いします。

 

 

 

 

とりあえずまず「弁護士」ってなんだろうね。

刑事訴訟では、弁護人として被告人無罪を主張し、あるいは適切な量刑が得られるように、検察官と争う。(wikipediaより)

いろいろ他にもお仕事はあるんですが、とりあえず今回はこれですね。法廷で、専門知識で手助けをしながら被告人の主張を代弁して被告人にとってより望ましい結果になるように争うと。職業なので有償です。

 

で、その上でアニメ本編の話をするんですが、彼ら六つ子たちというのはけっこう日常的にお互いのダメなところを糾弾し合っています。「お前のそういうところは有罪」とちょいちょい言い合っている。仲が悪い?というわけではなく単純にそういうスタンスでいることが総じてあります。

おそ松とトド松によってチョロ松が有罪判決を受けたライジング回はわかりやすい例ですが、他にトッティ回とか、「お前はなんで生まれてきたカラ松」とか「ノーマル四男」とか「人とまともに会話できないくせに」とか、けっこうよくもそこまで切り込むよなってところまで行きます。「灯油が切れてるよ、チョロ松兄さん」もある種のライジングをひきずった有罪判決と見ます。彼らはしょっちゅう「はいお前有罪」「死刑執行!」をやっています。

そんな家庭内裁判の中で、弁護人をやっていた男がいます。松野カラ松です。彼は2話で「社会でやっていけなそう」「上司とか殺しちゃいそう」「確かに」と有罪を言い渡された一松を「信じてる」と言います。それは実際のところ一松が求めていたものではなかったのですが、とりあえずカラ松は一松を責めません。それは5話カラ松事変を経てすらです。一松はしょっちゅうカラ松に対し粛々と処刑を執り行っているにも関わらず。16話一松事変でも目の前で証拠があれだけ挙がっているのに彼は一松を断罪しません。

それは別に、彼が一松の「有罪」な部分を知らないわけでも、目を背けているわけでも、彼が自分に行われている処刑を嫌がっていないというわけでもありません。「ひねくれまくって卑屈」というという一松の罪状をカラ松はきちんと把握しています。把握しているのとそれを糾弾するのは別の問題です。弁護人とはそういうものです。

一松にしてみたらとんでもなくわけがわからない状況です。一松の視点から見て、カラ松は「一松が有罪であることを知っている人間」でありながら(なんせ被害者です)、「自分を無罪だと主張し続ける」人間です。わけがわからないよ。ついでに一松は「別に死刑にされたっていい」と思っているしそれが当然だと思っています。もう彼はそういう部分も含めて「お前は有罪!!!」「お前は死刑!!!!」と叫び続けるしかない。

なぜカラ松が兄弟に有罪を言い渡さないのか。それは彼が「人を傷つけたくないから」、加えてそれ以上に、「だって兄弟だから」です。ananでもチョロ松のどこが好きかと問われ「兄弟だから!」と答えてみせたのが彼です。そうそうanan読みました。媒体自体がギャグという新しすぎる手法。最高。

 

そんな状況の彼らが弁護士としてドラマCDやります、というこれはものすごくでかい意味があります。このシリーズのドラマCDだからこその意味があります。彼らはこのドラマにおいて、兄弟ではありません。話の中で「松野」という苗字は登場しません。カラ松は一松が長男でないということすら知らなかった。この二人は弁護士と被告であって、他人です。カラ松の「俺の兄弟だから」という理由が消えます。その代わりに職業としてそのポジションが与え直されました。

このCDで彼は一松被告の罪を量ることができる。二人は他人だからです。他のドラ松もそうだったようにこの「職業体験」はわりとぐだぐだでもOKなので(おそ松なんて地下帝国の王様になってるし)実質内容を見てみればこれはカラ松に他人として弟を糾弾する機会が与えられたといっていいものでした。もう弁護士なのか検察なのか裁判長なのか修造なのかわかったもんではありませんが、ともかく、ここでなら「お前は卑屈だ」「お前はひねくれている」「お前は汚い花だ」「というわけで裁判長、死刑です」ということができます。

 

すごくない?すごいことだよ。本編で彼ができなかったことを実現するためにステージが用意されたんですよ。さあ大いにやれよ。あれだけハブかれてきた、お前のためのステージだよ。

 

事実彼は大いにやった。一松にしてみればもちろんわけわかんないテンションに付き合わされているわビンタはされるわ罵倒されるわマジで災難としか言いようがないんですが、彼は少なくとも自分に下された判決は甘んじて受けます。内省型の彼は自分がどういうやつでどのように有罪かを知っているし、その上でそれに釣り合う罰がくだされることを望みます。彼はずっと有罪の判決を受けたかった。殺人現場で血まみれの肉切り包丁を構えていたように。

その上で彼はきちんと兄の相手をしました。キャストトークで言われていた「他のメンツだときちんとツッコんでくれない」という話ですが、私も概ね同意です。一応一松はきちんとボールを受け取ろうという努力はしています。ちょっと向こうが暴投な上に投げ返してもキャッチしてくれないのでキャッチボールは破綻しているのですが、このステージを用意させてしまった原因の一つでもある一松は責任を持ってオンステージの成立に付き合います。律儀だな……そうだよこいつ律儀なやつだったよ……偉い……トラック2でもなんというか、基本的に別人としてきちんとロールして話してるし…

 

で、兄弟ではない二人が暴走した結果、カラ松くんがどこにたどりついてどういう結論を出したかというと、「俺たちは両方不幸だから一緒に泣こう」そして「俺たちは生きているし世界は美しい」です。

 

すごくないですか?????????

 

別に彼は自分が家族に無視されがちなこともニートであることも童貞であることも評価が受けられないことも誤解されがちなこともよく死ぬことも嫌だと思っていないわけではありません。俺たちは不幸だ。しかしそれならば一緒に泣こう。俺も痛かったがお前も痛かっただろう。同じことについて泣こう。それがきっと生きることだし、そうやって生きていきたいし、そうやって年を取っていきたいし、そんな世界は夜でもサングラスが必要なくらいにはまぶしい。

 

ほんとゆるがない。ゆるがないなぁお前は。

今回めちゃくちゃオザキが元ネタになってて、今改めてぐるぐる考えながらオザキ聴いてて、それで雑すぎる情報収集と感覚で言うんですけど、なんていうか彼のアウトローさって「愛なんかいらない」とかそういう方向じゃなくて「世の中で使い古されてる愛が真実かどうかなんて知らないけど、俺は真実の愛のために生きたい」というやつなんですよね。そっちなの。「人間なんか嫌いだ」とかじゃなくて「真実のない人間というやつが嫌いで真実のある人間が好きだしそうなりたい」という方向性。基本的に生きてたいし世界そのものみたいなものへの信頼感がある。まぁ彼は夭折しちゃったんですが……

松野カラ松というのもそういう奴なんですよね。たぶん。

 

なんというか25話の「いいねぇ~」を返した一松を見て「ふふ~ん」って笑ってみせたカラ松というものを分解して純化して精製したみたいな、そういう、そういうポジションにあるCDだったなと思います。カラ松のためのボーナスステージ。そして俺たちの未来は明るい。

「兄弟ではない」という前提でそれを表現する関係性を別軸で構成するっていうのを、松はすでに「じょし松さん」でやっていて、(じょし松さんたちは兄弟ではないけれど、女の子たちは他人同士でああいう関係性を構築できる、という非対称性)、ドラ松3,4はそういうことをやってるんだなあという感覚があります。彼らには兄弟だからできることと、兄弟だからできないことがある。

 

いやはや、すごいなぁ。そして今までの喋っていない尺の分を取り返す勢いで喋りまくり、2クール分の暴行を1トラックで回数的に釣り合わせてみせる勢いで殴りまくった感があるので、そういう意味でもボーナスステージだったなと思います。こんな形で埋め合わせしてくるとは思わなかったぜ……このCDのカラ松の好きな台詞ここで書ききれないぐらいにたくさんあります…

 

いや今回本当にわけがわからなかったし、でもわけがわからないなりに理由はあるし、成立させようという努力の痕跡はあるし、で結局成立してたのかしてなかったのか、すさまじかったな、狂った台本書くほうがきっと難しいんだぞ、しかも彼の中だときちんとロジカルな、それでいて狂っているっていうのすごく難しいぞ、たぶん、まぁとにかくきちんと声を合わせて「閉廷」って言えたことに価値があったんじゃないかなという、うん、そんな感じです。

すごいぞ、あいつら、二人できちんと闘争に幕を引いたんだ。

 

お粗末様でした。

 

 

しんどい私の近況報告その2

はいどうも~お久しぶりです~~みなさんお元気でしょうか~

「松ロスするにはまだ早い」って誰が最初に言ったのかわかりませんけれども、ほーんと最終回後も充実してて、三日に1回は「無理!!!!!!」とか叫びながらビタンビタンしています。

現在今までここで書き散らしてきたことを回収していこうといろいろ考えたり書いていたりするのですが思ったより現在多忙のため進みが遅いです。ちなみに今までの文全部プロット書き出しとか無しでいきなり頭から書き始めてひたすらパチパチやって一気に書き終えてましたからね。パッションの成せる技だね。

 

でもなんかずーっとここをほっとくのもアレなのでつなぎに近況報告をなげておきます。

 

・当ブログ関連

えー皆様当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます。感謝感激雨あられといったところです。

パッションだけで書き始めた時にはこんなに読んでいただけると思ってもいませんでした。承認欲求こじらせマンなので感想とかRT先とかけっこう追いかけています。ごめんなさいね。逆に言えば探知できるような形で感想を発信してくれればけっこうな確率で読みに行きますのでよろしくです。

何というか、今までもこういう物語をわしわしと腑分けして語ったりこねくり回したりするのはけっこう好きだったのですが、それに需要が多くあると感じたのは初めてでした。すっごく新鮮。

そうやって遊んでも良いっていうことを教えてくださった先人の皆様には頭が上がりませんし、いいぞいいぞ!もっとハデに遊んでくれ!と言ってくださった皆様はもちろん、同時にふ~ん、そんなに語ることじゃなくない?と思いつつも黙っていてくれた人々にも感謝しています。そしてなにより、私をお客にカウントしてくれた松公式にはもう足を向けて寝られないので今すぐスタッフさんの家の方角を教えて欲しい。今なら地方に住んでいるから可能なはずだ。東京ってどっちだ。

加えて、はっきり言って自分のめんどうくさいところをこんなに晒した場所もないので、正直うわーって叫びながら消去したい欲求もあるのですが、こらえて残しておきます。たぶんそれが松見るのと同じぐらい自分に必要だったと思うので。というかいつかそう思うんじゃないかなという気配がするので。

まぁこれからぐだぐだしたまとめもあがると思いますし、どでかいのが来たらすぐに戻ってくると思いますので今後ともお付き合いよろしくお願いします。

 

 

・しんどい私の話

えーっと、ここで報告することじゃないですけどこの春からサラリーマンやってます。

サラリーマンですが文章でご飯を食べています。一日中言葉と格闘していると日が暮れているのでそこそこ上々と言えます。ちなみに前述してきたとおり解禁の3月の時点で過呼吸起こしてぶっ倒れるという散々な就活スタートを切った私だったわけですが、まぁ案の定全然うまくいかず、7月ぐらいにこれはヤバいんじゃないかと感じ、思い切って「あの~私こういうの向いてると思うんですけど…」から「ワタシ、ブンショウ、チョットカケル」って叫びながら舵を切ったところトントンといろいろとうまくいきました。これから就活する方いらっしゃったら参考になるかもわからないんですけれど「この程度で好きって言ったら駄目かもしれない」「この程度で得意って言えないと思う」とか言ってるとたぶん損だ、ハッタリでいいから主張してこう。あと好きなことと向いてることと仕事にしたほうがいいことと得意なことと需要があることって多分全部違う。

んで、何が大きく変わったかっていうと、そうです、親の扶養から外れました。住民票的にも独立しました。昨日初任給出ました。私が何よりもしんどかったことの一つが消えました。私は自由だ!!アイムアキングオブザワールド!!というわけでまぁ人生いろいろありますししんどいこともいろいろありますがそれなりになんとかなるといいなぁという展望を抱いておるところです。

 

・松のタイアップ、グッズなどなど関連ものについて

私グッズはほとんど追ってないので(だから言ったでしょうオタクになりきれないオタクなのだと)わかりませんが、いちいちパロディやあてはめが素晴らしくて地獄です。アリスとかね、ロックスター衣装とかね、殺す気かな?殺す気だね?

あと何が素晴らしいかって、最終回後に出た公式絵やタイアップものがきちんと最終回後の彼らなんですよね。途中の奴らじゃないの。私服がかっこいいことやダサいことでオタクを泣かせたキャラクターは数多あれど私服をきたということだけでオタクが涙するキャラクターはなかなかいないでしょう。

そうそうアプリはへそくりウォーズとパズ松にだけ手を出しています。そういやここで書かなかったな、私はゲームとゲームに熱中する人間とゲームに熱中してしまう自分が殺して回りたいくらいには嫌いなので(すごくしんどい)だらだらとしかやっていないのですが、よくできていると思っています。特にへそウォね。属性とか機能とか、目の付け所がシャープ、じゃなくてすごく松だなって感じます。あと新品たちとかなごみとか、需要をよくわかってらっしゃる。

こういうのって続けてくのが一番大変だし、今後どうなるかわかりませんけれども、まぁぼんやりと見守っていきたいなぁと思います。

 

・なごみリターンズについて

追伸なんですが、同じ号のダ・ヴィンチに載ってる乙一特集の中の舞城王太郎先生の「九十九十九松」もとても松ですごく良かったです。すごく。すごく。

 

こんなところですかね。

 

 

というわけでまた時間できたら雑多なまとめを投げに来ます。ちなみに常日頃はついった@senri61にいますのでご連絡等あれば。お付き合いありがとうございました!では!

 

お粗末様でした。

「なごみ探偵おそ松さん・リターンズ」なごみ探偵の探偵力の話

「真実というものは、他人の理解とは無関係です」

 

 

はいはいはい、どーもーおひさしぶりです。

 

 もうね、松が終わって数週間たちましたが皆さん生きてますか?飢えて死んでない?大丈夫?

まとめを書こうと思ったんですが先に大爆弾が来たので語らねばなるまい。

ダ・ヴィンチ5月号「おそ松さん」特集に載った、作家乙一が書き下ろした

「なごみ探偵おそ松さん・リターンズ」!!

 

自称「なごみ信者」の私が読まないわけがなかったよね。田舎在住なのに念には念を入れて書店予約して買ったよね。

 

私は乙一さん、ずっと追ってるとかでは全くないんですが「GOTH」「ZOO」は読んだし「失はれる物語」あたりもわりと好きなんですがとりあえずそんなビッグネームが動くとは思ってなくて本当にびっくりしました。誰だ企画出したの。足を向けて眠れないよ。

ちなみに好きなポイントを挙げるとしたらてきぱきとした容赦のなさと温度と湿度です。(私にとって体質と作家の合う合わないは温度と湿度によるところが大きいです)

 

さらに最高なことに、なんとアニメの話の単なるノベライズではありません(まぁそんなことをさせられませんが)。設定を踏襲した別世界別時空の話です。

そして、別時空にも関わらず、それがもう本当に全く、すごく、とんでもなく「なごみ」だったんですよ!!なごんでたんですよ!!!別の形の「なごみ」だったんですよ!!!

 

というわけでここからはネタバレ大放出になります。まぁ所謂ミステリ(ということにこの段階ではしておく)なので、ネタバレの意味がそれなりに重いです。なので読んでいない方は一旦ここで止めておいて書店に走りましょう。大きいところなら図書館にもたぶん入るのがダ・ヴィンチのありがたいところです。読もう。まだ間に合う。

 

 

 

いいですか…?始めますよ…?

以下恒例のあらすじまとめです。

・イヤミの館で働いている庭師カラ松が死んでいるのが見つかる。チョロ松警部他警察が捜査を開始する。

・密室の謎に空気が悪くなったところになごみ探偵がやってくる。

・謎の男が出てきたりすったもんだの推理の後、メイドのトト子ちゃんが自供する。

・なごみ探偵がトト子ちゃんが可哀想だと言って、イヤミが犯人だという推理を披露

・イヤミが犯人として逮捕される。

 

なんだこれ。

 

 

いやほんと、ほんとこれだけのためにぐちゃぐちゃくっちゃべってトリック分析して、それでこれですよ?なんなんだよほんとに。

 

えーっと、今回いろいろ最高ポイントがあるんですが、とりあえずなごみ探偵がどれだけすごい奴なのかということを物語構造の話をしつつ考えてみたいと思います。

ちなみに私はミステリ好きですが全然詳しくないし体系的にも読んでないにわかなので、すっごくテキトーにフィーリングで喋っています。全国のミステリファンのみなさん、ごめんなさい。石を投げないでください。そのモーションのままオススメの本を私に投げてください。よろしくお願いします。

 

世の中にはミステリと呼ばれる物語のジャンルがありまして、推理小説とも言いますが、とりあえず謎、事件、犯罪が起きてそれを合理的、論理的に解決することを目指す小説のことを指します。

事件があってそれを解決するというのは様々な規模がありますのでその題材としてはわりと小さなものでも成立するのですが(「ぼくはめいたんてい」とかね)、やっぱり殺人は題材として花形ですし、舞台は古い洋館、そこに職業としての「探偵」がいるとくれば、これはもう全力で、さあミステリをやるぞ!!!と看板を掲げて叫んでいるようなものです。

そして今回の提示された謎は密室。ベタです。というか推理小説の殺人現場って大抵何らかの形で密室じゃない?(テキトー言ってます)まぁとにかくすさまじい舞台がお膳立てされています。

それでは、そこでどういう謎解きが展開されたのか?というと、なんと「そもそもミステリとはなんぞや」「謎解きとはなんぞや」ということを考えずにはいられないことが行われたわけなんですよ。

 

以前から話をしていました、「地の文は隠し事はしても嘘をついてはいけない」というルール。ここで言う地の文は所謂天の声だけでなく、登場人物である場合もあります。今回の語り手はトト子ちゃんです。小説、さらにミステリというジャンルではなお厳格になるこのルールに従うのなら、トト子ちゃんは嘘をついていません。隠し事はします。現に彼女は自分がカラ松を殺したことを中盤まで隠していました。しかし彼女はそれについて言及しなかっただけで、嘘をついてはいません。犯人はトト子ちゃんであり、それは揺るぎのない事実です。

語り手であるトト子ちゃん以外のキャラクター達は嘘をつくこともあります。イヤミは事件とは関わりのないところで保身のために必要な嘘をつきました。推理を展開していくには時に登場人物の嘘を見抜くことも必要になります。

とにかく、犯人であるトト子ちゃんは自供しました。カラ松を殺したのはトト子ちゃんです。この段階でこの物語は終わっていたはずでした。なぜなら、この物語が推理小説であるならば、真相が解き明かされることが目的だったはずだからです。

しかし、なごみ探偵は「可哀想だから、別の犯人を考えてみよう」と言って、彼女以外の人間を無理やり仕立て上げます。そしてそれは、イヤミ以外の誰にも止められない。みんなその話に乗っかります。

密室トリックというのは、「どうやって殺したのか何も手立てがない」というところから、様々な方法を探し、それらが全て条件によって否定されたあとで、「この方法でなら成り立つ、そしてこの方法以外では成り立たない」という方法を見つけなければなりません。いくつも可能性がある状態では解決に至ったとは言い難い。その方法の突飛さ、新しさが一つの醍醐味になってきます。

そして、その方法として今回のイヤミ説を成り立たせる氷とワイヤーのシステムのような、言ってみれば「謎のギミック」(特殊な機械から多重人格などの精神疾患、妖怪幽霊超能力まで含む)が登場することもあります。しかしながら推理の過程で提案されるそれは何らかの条件によって、もしくは別の「より現実的な」方法の提案によって否定される率も高い。なぜなら、「謎のギミック」を持ち出してくるためには、「それは実現が可能かという実験」「わざわざそんなものを持ち出してくる背景」という肉付けが必要になってくるからです。そしてその肉付け作業はよっぽど上手くやらないとすごくなんというか、うん、読者が萎えます。

(ちなみに個人的にはそういう「謎ギミック」が出てこないものの方が好みです。なんかこう……やるならこう……最初から「謎ギミックありな世界だよ!!」っていうオーラを出しておいてほしいよね……ただの愚痴です…)

なごみ探偵は氷とワイヤーを使った装置を利用してイヤミが犯人になる理由を作り上げました。本来なら欲しい、これが本当に実現可能かという実験となぜイヤミがチビ太を殺すためにそんなめんどくさいギミックを作ったのかという検証は全くしません。普通に刺して普通に証拠を隠滅したほうが楽です。めちゃくちゃつっこみどころ満載理論なのに、誰もつっこまない。

誰もイヤミを逮捕することに疑問を持ちません。明確に彼が犯人ではないことを知っているトト子ちゃんですら、です。そしてトト子ちゃんの目から見ている私たちですら、終わる頃には一瞬「トト子ちゃんが犯人」という確信が揺らぐ。少なくとも私は揺らいだ。

 

何が言いたいのかというと、

探偵という装置は物語を成立させるルールすら越える力がある

ということです。

小説において「語り手は嘘をつかない」これがあるのは物語を成立させるためです。語り手が台詞として物語の登場人物に向けて嘘を話すことはあるかもしれない、語り手に幻が見えているのかもしれない、しかしその場合であっても語り手は私たち読者に意図的な嘘を提示してはいけないわけです。なぜなら小説は語り手の言葉からしか物語世界を見ることができず、それが崩れた瞬間に物語が物語の形を取れなくなるからです。

しかし探偵というのはそのルールよりも上位にある存在です。彼が「別の犯人を考えてみよう」と言い、「論理的に」解答を作り出せば、真実がそちらに寄り添います。それに従って物語世界そのものがその真実を支持するために動きます。

つまり、真実を解き明かすことよりも、その「探偵」の力をフルに行使して、生み出した真実に物語を奉仕させる力に特化した探偵が「なごみ探偵」と言えるでしょう。

彼はアニメにおいて、謎を解くのではなく、謎を解く必要のない物語へと物語世界自体を変化させました。彼は物語構造自体よりも上位存在、登場人物たちが敵うわけがありません。死体の山の横でパエリアを食べる物語を彼は彼の思い通りに実現しました。

今回のリターンズにおいては、彼は実にスマートに解答を作り出しました。今回、異議を唱えたものは誰もいません。イヤミ以外が探偵の作り出した真実のために動きました。

 

ものすごく怖くないですか?彼はものすごくでかい力の持ち主で、それは物語を破壊しつつ、それでいて何事もなかったように別の形の物語として存続させます。

そしてそのエネルギーは彼が「探偵」であることによっていて、彼がその探偵力をフルに活用した結果です。探偵が物語の終盤で推理を披露すると、それが自動的に真実になります。それはどんな推理小説でも変わりません。彼らはそういう力を持っています。つまりその力に特化したなごみ探偵こそが本当の探偵らしい探偵だと言っても過言ではない(と言う場合大抵は過言ですが)

 

「大いなる物語への奉仕」は私がずっと考えてきたテーマですが、なごみ探偵はそれを登場人物たちに強制することができる力を持っています。そうなるとその物語が彼らの望むものであるのか、ということが大きな問題になってくるわけですが、なごみ探偵は確かに、一定の数の人が幸福になる物語を生み出しています。警察官たちはなごんだ、犯人は捕まった、トト子ちゃんは白いままアイドルになれた。しかしながら殺人の被害者たちやイヤミなど、その物語によってすりつぶされる人間というものは確かに存在しています。ついでに幸福を得た方の人々のあり方が何の問題もないかといえばそうではないでしょう。全体を幸福な物語のために奉仕させる、奇しくも彼の分身が着ている色を思い出すような話ですが、彼の力はそういった性質のものなんです。

 

今回のノベライズによって、なごみ探偵とは何なのか、考えることができました。とても楽しかったです。最高です。きちんとなごみ探偵でした。なごみ探偵とはなんなのかをアニメ終わってから考えさせられるとは思わなかったよ……

 

ついでのようになりますが、他のキャラクターたちもとてもよくわかっていらっしゃる。特にカラ松くん。彼をどこまでもうつくしい犠牲者にしてくれて本当にありがとう乙一先生。彼の職業は庭師、うつくしいものを生み出す一種の芸術家であった彼は、優しいままに、物語を始めるために死にました。ありがとう本編通りです!!最高!!

 

他にも語りたいことはいろいろあったんですがこのへんで。雑な話でしたがミステリファンのみなさまお許しを。楽しく書き散らしてます。なごみはいいぞ。

 

お粗末様でした。

 

 

「おそ松さん」25話 そして私のしんどさはチャラになったのかという話

満足だ、おそ松さん!

 

はい、最終回を迎えてしまいました!みなさまいがかお過ごしでしょうか!!

 

初めてかもしれないな、リアルタイム進行でこんなにも楽しみ続けられたアニメは……もうこの先もないと思うので個人的にものすごく記念すべき作品になりました。

まぁそんなまとめはまたこんど改めてすることにして、今回は25話の分のまとめをしてしまいたいと思います。

重たすぎる24話を経て、どのように落としてくれるのかと考えていたところでしたが、まぁ台無しまでは予想できてもちょっと台無し具合がもうね、人類最後のギミックによるカラミティレベルの破壊力だったのでね、もう大の字になって笑うしかありません。

本当になぁ……スタッフの勇気を讃えたい……ありがとうございました……全力バタンキューすぎだろ……

 

今回の話は、構造から言えば18話型、全体の物語と進行は同じ世界、しかし起きるのは全くの非現実的出来事、という構造になっています。加えて、一つのゲームフィールドが用意され、優勝するとメリットがあり、そのために競い合うという、これも18話と同じストーリー構成ですね。

 

恒例のあらすじまとめです。

・ひとり家に残るおそ松の元に届いた手紙は、彼らが「センバツ」に選ばれたという通知だった。ちなみにチョロ松がおそ松に宛てて書いた手紙は何故か燃えていた。「センバツ」のために散っていた六つ子は呼び戻される。

・松蔵が何の「センバツ」なのか判読できないまま、開会式が始まる。宇宙人のような人物が謎の言語で挨拶。分からないと叫んだ聖沢庄之助は射殺される。

・試合が始まるが、上手くいかず拗ねるおそ松、チアガールにポンコツになるチョロ松、野球にはしゃぎすぎた十四松の暴走などによって松野家はコールド負けする。

・それから一年後、彼らは強くなって、もう一度センバツに出場、ライバルたちに次々と勝利し、決勝に出場するため宇宙へと旅立つ。

・決勝の相手の第四銀河高校の宇宙人たちの攻撃によって9回裏、チビ太やイヤミ、今まで登場したキャラクター達が次々と死に、松野家はピンチに陥る。

・そんな時トト子ちゃんがいきなり全裸になり、勝者に自分と一発できる権利を与えると叫び、六つ子はやる気を出すが、結局第四銀河高校に負ける。

・四銀高校歌が流れる中、六つ子たちは宇宙に散り、終了。

 

すごい!!文章にしてみても全然わけがわからない!!でもこれ以上どうにもならない!!どうやったらこんなトンチキなものが生み出せるんだ!!!!

 

前回ですね、24話についてまず最初に彼らの成長について、次に赤塚マンガの世界というメタ視点のアニメにおける展開について、というふうに二本でまとめました。

今回の25話というのは、彼らの成長と生き方についてと、赤塚マンガの世界を現代に蘇らせることについて、という二本の軸を成り立たせていたのだと私は思っていて、自分で言うのもなんですが前回の私をちょっと褒めたいです。

 

まず、メタ的な視点についての話です。

24話で、おそ松は赤塚マンガの主人公になれないことに辛さを感じていたと読みましたが、25話は元の、いえいままでの「おそ松さん」以上にナンセンスギャグに振り切った回でした。彼らのなごみの魔法は復活し、それに覆われた狂った世界がまた実現しました。

おそ松は、元々、この赤塚先生の作った国を維持することが自分たちの義務であると考えている節があります。そのため、「働くこと」「家を出ようとすること」、つまりは赤塚先生の意思から脱出することを「贅沢だ」と考えます。

そして彼は、六つ子の離散に悩んだ末に、やはりこの世界を赤塚先生のものにすることを選びます。なごみ探偵があの世界を狂気で包んだように、彼はもう一度、魔法をかけ直し、このアニメが始まった日に彼の、そして赤塚先生の世界にヒビを入れた聖沢庄之助を、今度こそ射殺します。

しかしながら彼だけでは赤塚先生の世界を作り出すことはできませんでした。今回の物語には共犯者がいます。チョロ松の手紙を燃やし、24話から25話への可能性の分岐を捻じ曲げた存在がいます。それはこのアニメの制作者たちです。

センバツ大会の競技場の後ろに、大きなガスタンクがありました。書いてある文字は「藤田ガス」。藤田と言えばもちろん、このアニメの監督藤田陽一さんです。

私はずっと、このアニメにおける灯油、火を「暖かい場所、自分の居場所」と言ってきました。それではおそ松たちにとっての居場所であり暖かい場所はどこだったのかと言えば、もちろん松野家、それに加えて、この「おそ松さん」という舞台そのもの、そしてそれを楽しんでいた読者たちでした。作者が亡くなり、アニメも終わって27年が経った彼らに、もう一度、暖かい場所、つまりは舞台とスポットライトと観客を用意したのは、藤田監督、そして制作スタッフです。

彼らはおそ松と共に、もう一度正しく赤塚先生の世界を作ることを実現しました。結果、彼らはわけがわからない大会にいきなり出場し、誰のものかわからない墓参りもするし、突飛な手を使って敵をやっつけます。誰もその世界にツッコミを入れることはありません。聖沢庄之助という18話で主人公となった真理の象徴を射殺したからです。主人公はまた正しくおそ松のもとへ戻ってきました。それが良いことか悪いことかは置いておいて、そういう大きな改変が起こった。世界にはもう一度火がもたらされたのです。それは良いことでも悪いことでもありました。

今回は、一つの制作スタッフが何をやりたかったのか、ということだったのだと思っています。今回のアニメというのは言ってみればセンバツ2年目、赤塚ヒーローになりそこねたおそ松へ与えられた再チャレンジのチャンスです。その上で制作サイドの彼らは、恩や義理やしんみりしたムードなんか捨てて墓石を蹴り倒して生きろと言った。それでこそヒーローなのだと言った。

 

前から言っていますが、このアニメはなんというか本当に「リバイバル」「リメイク」の最高の形だったと思います。なんというか青い花ちゃんの言葉を借りれば「縮小再生産」じゃない。それでいて、全くの別物でもない。それが最終回できっちりと実を結び形になりました。

 

 

さて、それではその物語の中で六つ子たちはどうなったのか?ということが問題になってくるわけです。

以前書いたとおり、六つ子たちは24話かけてそれぞれ自分の汚さを知ったりこの世の無意味さを知ったりと、それこそ踏んだり蹴ったりな勢いで揉まれ、それを通してなんだかんだ何かを掴もうとしました。その結果が24話という一つのエンディングです。やはりあのアニメはあそこで一つの決着をつけていました。今回は18話型、連続性があるようなないような、浮いた時間軸です。

私は25話をエクストラステージとしての全体の総括と見て、負けて一年たって戻ってきた二年目のセンバツを、このアニメ本編の一種の再現だったと見ます。成長し個性という武器を手に入れてカムバックした彼らは、それなりにこの世と渡り合っていく術を持ち、悪であることに開き直っていますが、それではまだ弱い。

彼らが二年目のセンバツで手に入れて、そして最強の敵の前で失ったものは、彼らを愛してくれたもの、愛したかったもの、そして同時に虚像でもあったものたちです。ニャーちゃん、彼女、青い花、神松、アイダとサッチン、石油王、ダヨーン族の少女……それらが次々と殺されていく様は、本編と重なります。

それらを全て失って、裸にされて残ったのは彼らが「童貞」であることでした。

このアニメにおいて正しい定義から外れて使用されている「ニート」という言葉を「無条件の愛の保護下にあり生きるための闘争のない状態」とするのならば、「童貞」も何かに読み替えられると考えられます。それはおそらく「性行為経験がないこと」だけを指すのではない。言うなれば「子供であること」「無垢であること」「経験したことのないものを夢見ていられる頃」です。彼らに残ったのはそれだけで、それだけで最強の敵に立ち向かおうとしました。

そして、「無理なものは無理!」と叫んで宇宙に散りました。生まれたまま、「童貞」のままで、です。何が無理なのか?といえば、最強の敵、まあつまるところこの世界というものに勝利し「童貞」を捨てることでしょう。

 

僕たちは純粋無垢な子供だ。子供であるが故に自分を愛してくれる虚像に夢を見て、それが死ぬこの世界の怖さと汚さを嘆くのだ。それでも死ぬ気でやってみて、でもやっぱり限界はある。僕らは子供であることから逃れられない。

 

それではそんな事実をこのアニメは嘆いているのか、讃えているのか、と言えば、やっぱり賞賛しているのではないかと思います。

ここは「センバツ」。何のセンバツかは全くわかりませんが、明らかに元ネタは選抜高校野球です。それは高校生たちが命を懸ける青春の舞台です。そして、彼らが今まで命を懸けてきた青春というものを讃える場所です。

私は高校時代を部活漬けで過ごしていた学生で、まぁ目指せ全国大会で頑張っていたので一種のセンバツだったわけですが、本当にあの頃の自分はどうかしていたと思います。朝から晩までそのこと考えて、生きるのに直接関わらない、めちゃくちゃ小さい問題の解消に延々時間使って悩んで、喧嘩もして、みんな狂ったような目をして、そして夢を見ていた。その時間の末に叩きつけられるのは、自分とチームの限界です。これ、私だけの経験じゃないと思うんですけど、上の大会に上がって本物の強豪校とか見たりすると、ああ、無理だわ、ってなるんですよ。いやならないで努力できる人が本物なのかもしれない。でも、悔しいとかもっと練習すれば良かった後悔とかが全部消滅して、ああ、こうはなれない、っていうのが降ってくる瞬間がある。私にはあった。

じゃあ練習しなくてもいいのか、しゃかりきにやるのは無駄だったかっていうと、そうじゃない。その「無理」はベストを尽くした上にやってくるものだという気がするんですよ。てきとーに頑張っていたら、きっとただ悔しかったり、卑屈になったりしていたんじゃないだろうか。

 

最後にセンバツという舞台を用意したこのアニメは、その彼らが「童貞」であること、愛や理想の死を経験すること、そして訪れる限界の自覚、それらを「青春」として讃えます。「童貞」であることを謳歌しようよ、どんなに愛や理想が死んでも夢を見ようよ、どんなにくだらない憧れでもいいよ。それが叶わないことに思い切り悩もうよ。そうやってバタンキューするぐらい全力で子供でいようよ。

 

それでいいのだ。

 

彼らは優勝しません。彼らのダメだった過去はなんにもチャラになりません。それはいつまでもそこにあるもので、就職しようがしなかろうが変わりません。

24話で彼らがしていた就活や就職やバイトや放浪、そして「赤塚先生の世界を実現すること」で何が解決するかって、やっぱり何も解決しません。たぶん奴らは働いていたっていつまでも寂しいし、いつまでも夢を見ていて、いつまでもどこか対人関係に問題を抱えるでしょう。きっとしんどいままです。でもそれはこのアニメが讃える「青春」の形であるという点において25話と何も矛盾しません。彼らは考えて考えて、全力で本気出して悩み続けることを決めたのです。そこからまた「無理」を知る旅が始まります。本気で生きなければ見つからなかった限界です。

 

やっぱり半年使って考えたけど、私だって一瞬で生き方変わることなんてないし、変わってたらこんなに悩んでないし、 やっぱりどこまでいったってしんどくて、それはチャラにはならない。それはきっともう私の一部です。しみじみするほど。

でも、そのためにちゃんと全力で悩め、決してムダなんかじゃない、そしてそれはきっと美しいことだ、そしてたぶん、誰もがきっとそうだ、というのは、本当にありがたい言葉だと思います。

ありがとう。追いかけ続けてよかったなと思います。

 

というわけで、今回の感想を締めさせていただきたいと思います。

本当に今までお付き合いありがとうございました。総括する記事をもういちどまとめとして書きたかったんですが25話があまりにも総括だったからな……枝葉はだいたいついったーで喚いてるし…でもきっと何か書きます。しばらく忙しいのでいつになるかわかりませんが、近いうちに。

 

 

お粗末様でした。