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バックヤード

アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」18話 主人公になりたいしんどい私の話

こんにちは。

 

前回私が何を締めに書いたかっていうのを見返してみたんですけど

私イヤミに言ったんですよね。

「さぁ楽園は終わりだ!!早いとここの地を無に帰そう!!!」

 

ほんとに無に帰しやがった。

 

というわけで唖然としつつ18話「逆襲のイヤミ」の感想いってみたいと思います。

 

 

今回の話はざっくり言うと

・かつて「おそ松くん」時代に主人公であったイヤミが主人公の座奪還を狙う

・イヤミは優勝したら次回からの主人公の権利が手に入るという、カートマシンでのレースを用意し、六つ子やトト子、他の登場人物達が参加する

・参加者達はお互いに妨害しあい殺し合いゴールを目指すが、イヤミは主人公となる自分以外のキャラクターが消えてしまえば解決すると言い、原子分解光線で世界を滅ぼす

・喜ぶイヤミだったが、なぜかおそ松は生き残っており、全員を倒す手間が省けたと言いイヤミと乱闘を始める

・おそ松と改造人間と化したイヤミ、執念で復活した参加者たちがゴールを目指すが、ゴール前に力尽きる

・聖澤庄之助が優勝する

 

 といった感じです。すごい。また世界が滅んだ。

 

私は今まで、ずっと「赤塚先生の楽園は消えた。全ての価値が瓦解した。六つ子という居心地のよい地獄は崩壊するだろう。そこに何が残ると思う??」ということをずっとこねくり回してきました。

でもね、私はこの「楽園の喪失」「優しい小世界の崩壊」というのを一種の比喩、メタファ、そしてポエムとして使って語ってきました。

だから今後来るであろう「破壊」も「再生」も、例えば一松事変によって一松がカラ松に救われたように(ここもメタファですよ)、何らかの出来事によって、何らかの向こう側で、行われるだろう、それを見逃さないようにしよう、と私は思っていたわけですよ。

それをまぁ、18話は「ほらほら!皆殺し!!ほらほら!!」って地続きの世界でやりやがったんですよ。

凄まじいことですけれど、それが、それこそがギャグマンガのできることであり、アニメのできることであり、エンターテイメントのできることであったと思うんですよね。

16話についてで、「問題の可視化」についてちょっと話をしましたけど、作り手が意図したか、受け手が汲み取ったか、っていうのを別にしても、こういうことがエンタメの役割っていうか、可能性というか。それを「おそ松さん」はずぅっとやってきてる。

だって現実では、それがその人にとってどんなに素敵な王子様との出会いであっても傍からじゃ何もわかりませんからね。マンガだったら薔薇しょって星振りまいて出てこられる。これはものすごいパワーですよ。

 

さてと、本題に戻ります。ここまでも十分熱弁振るいたいところではあるんですが。

 

今回の話はまぁ~前述したメタフィクションとメタファのてんこ盛り、ってかんじだったんですが、今回の構成上の面白い点は、「普段の生活の延長上の世界での話」であるという点だと思います。

今まで、その役割は赤塚漫画のスタイルでもあったスターシステムの回「なごみ」や「面接」そして短編、そしてデリバリーコントという小規模のスターシステム劇中劇によって担われてきました。というか担われてきたというふうに私は見てきました。

今回、ほぼ全編「優勝したら主人公」というメタ極まりない上にカーレースというはっきり言って現実的でない出来事が起き続けているにも関わらず、彼らは彼らのままという世界観となっています。近いものがありました、「ダヨ~ン相談室」ですね。

 

これをどういう位置づけとしてみるか、というのがけっこう大きい違いになってきます。

今回が「なごみ」のようにパラレルとしての物語であるとすれば、この「世界崩壊ジェノサイド」の再現が、こんどは日常の松野家ライフの流れの中で行われる可能性があります。

今回が日常の延長にある話だとすれば、今回起きたことも反映された物語が今後展開されると考えられます。

なぜ私がこんなことをちみちみこだわって気にしているのかというと、

今回、全員が全員「あまりにもむき出し」だったから。

そしてやっぱり「世界が崩壊」したからです。

 

六つ子たちを、「大人になれなかった大人、「見られ」足りていないこどもたち」として捉えていた私にとって、今回の「主人公になりたい」というテーマはメタ的な意味以上に重くのしかかりました。

「六つ子」そして「その他のみなさん」つまりは私たちは、みんな本当は主人公として生きたいのです。

主人公になりたい。なんていうんだろう、自分自身の主人公として生きたい、というか、自分を主人公だと、少なくともそう思って生きていたい。誰かの人生を生きていたくない。それが当たり前のようにできる人と、できない人がいます。けれど、それが苦痛を伴うことであったとしても、普段はすでに諦めているようなポーズをしていても、やっぱり私は主人公として生きていきたいのです。

 

そして、彼らは終盤、その執念のために死から蘇り、人を殴り倒しながら、ゴールを目指します。スタート地点でスタート前から棄権状態、中盤で自分からリタイヤした一松さえも、「褒められたい!!」と叫びながらハタ坊を殴ります。

 

なぜ彼までもそう言えたのか?一度死んだからです。世界が滅んだからです。

正確には、イヤミという男が滅ぼしたからです。

 

ほとんど初めてイヤミという男について書くんですが、彼は「おそ松くん」時代のスタァです。私の家には、今考えて到底そんなことをするようには思えない若い頃の祖母と、幼い母が彼のポーズをとって写った写真があります。びっくりだね。とにかくそれはとんでもないレベルだったらしいぞ。私がリアルタイムじゃないのでこのぐらいにしておきますが。

しかしまぁ現在彼のことを若い子が知ってるかっていったら知らないしイヤミのポーズで写真撮る人がいるかっていったらまぁいないですし(あの頃のようにって意味だよ)そういう、彼が旧時代のヒーローであることは本編中でもはっきりと残酷に描かれています。

つまり、彼の世界は既に、赤塚先生の死とともに滅んでいました。いや、実際は同時に六つ子たちの楽園も失われていたのですが、それをイヤミは目に見える形で骨身に染みる程、叩き込まれていたわけです。

イヤミはこのアニメが始まった時から既に死んでいたのです。

 

一度死んだイヤミは蘇ります。また「主人公として生きたい」という執念のために機械仕掛けのサイボーグとして蘇ります。結果、彼はアニメ序盤から、作品中でほとんど唯一、「くん」時代のことを盛んに口にし、「主人公になりたい!!!」と叫び続けることができるキャラクターになりました。

 

そして彼は「世界が滅ぶ」ということがどういうことかを知っています。よって的確に他のライバルたちを殺すことができます。

彼はスイッチを押しては、彼らの前に「欲しいもの」そして正確には「本当に欲しいもの」ではない幻想を用意し、それを破壊してみせます。

客体としての女、安定した老後、アイドル。

それらが幻想であることは、今まで18話かけてこのアニメが描いてきました。

そして一松にとっての猫、カラ松にとっての花。

作中で語られたように、それらはある種の代用品、消耗品でありながら、彼らが本物だと信じたがっていたもの達です。

それらを、イヤミは破壊します。それこそが、私たちにとっての世界の崩壊、つまりは価値観の崩壊です。世界は焦土と化しました。

 

彼の誤算は、皆殺しにした人々がやはり彼と同じように主人公になりたいという執念を持つことを予想できなかったことと、松野おそ松という男が既に彼と同じところまでいきついていたということでした。

 

 

ごめんなさい私は進行中のアニメについて書いてるんだ、あとでどんなに自論と矛盾する展開になっても絶対撤回しねぇしあやまらねぇぜと思っていたんだけど今回は謝らせてください。ごめんねおそ松兄さんお前はやっぱそんな殊勝な奴じゃなかったよな本当にごめんなさい。

 番外:おそ松兄さんへの搾取が見ててしんどいという話 - バックヤード

 

そうだよ彼は2話の段階で自分のアイデンティティであった「六つ子の長男」「俺がタイトル」「俺が六つ子」を破壊されて自分が主人公じゃないことに打ちのめされてるじゃないか。いや、もっと前だ。そもそも彼はアニメが始まる以前から、イヤミがスタァになったときから、ずっと彼にタイトルを奪われて生きてきているのではなかったか。

彼がとっくの昔に「主人公」としてリビングデッドであったとすればつじつまが合うことはいろいろとあります。彼は主人公になりたかったのです。良い兄貴たる行動を取ることもその一つの手段でもありますが、必要とあらば彼らを皆殺しにすることもできます。

個性を持った彼らは「5人の敵」なのですから。

それでこそ私が推す松野おそ松だよ。

 

二人の死者は蘇り、自分が主人公になりたいという衝動のために手段をつくして争いました。最終的には同じステージの二人が世界に残され、直接の大乱闘を繰り広げます。

しかしながら最後に勝利したのは聖澤庄之助という、新アニメで初めて名前が付いたキャラクター、まっさらな生者でした。

 

 

これこそがリバイバルと言わずしてなんと言うのか。

 

私は彼らが「主人公としてのポストを与えられながらも脇役にその地位を奪われた少年たち」を成長させて「自分の主人公として生きられない大人になれないモラトリアム青年たち」として読み替えるのもとんでもねぇなと思っていたんですけど今回を見てこのアニメはそれ以上のことをやってのけていたんだなと思いましたわ。ウルトラCだよ。とんでもねぇよ。

 

今回、彼らが全員一旦正式に死者になり欲求を叫べる存在になったことが、今後引き継がれるのか、それとも引き継がれない、別の形で再現されるか、というのが次回からのポイントだと思います。

 

しかも全員お互いの主張を聞いちゃっていますからね。

見ていて思ったんですがチョロ松くんはやっぱり作中では「信頼のおける語り手」で、そのまんま考えたこと口から出すし行動してるんだなと思ったんですが(そしてやっぱトド松くんは嘘つきなのでよりいっそう)、だとすると彼が兄弟の支持を受けて号泣していたのは本心でしょうし、そんな彼が「認められたい」って叫んでいたのは印象的でしたね。

彼に真っ先に存在してるのは「認められたい」。就活もレンタル彼女も、彼にとっては、きちんとした男だと認められるための手段、なんですよね。そのへん行動の一貫した動機として今回で納得できました。

 

でも私が一番共感したのは、一松くんかなぁ。

注目されたくないし、主人公になるのはとんでもなく怖いことだけれど、レースには参加したいし。

こんなに頑張って生きているんだから、誰かが褒めてくれたっていいのに。それだけでいいのになぁ。

 

 

今後もまだ六つ子としてやつらは生きていけるのかなぁ。今回を引き継ぐのならかなり微妙なところだと思います。

 

 

「主人公になりたい!!」と叫ばなくても生きていける、なぜならいつでも「十四松だよ」と言うことができるから、そして人にこう言える十四松くんが、何かを変えてくれるかもしれません。

 

 

「主人公は、あなたです」

 

 

 

お粗末さまでした。