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バックヤード

アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」19話 しんどい私とチョロ松の処刑についての話

「プライドの亜種」を名言として額に入れて飾りたい。

 

どうも、こんにちは。19話感想です。

リアタイ勢が軒並み死んでいるのを眺めてからの視聴だったんですが,

 

とんでもねーーーーー!!!!!!!

 

こりゃみんな死ぬわな!なんか普段「六つ子面白い!だいすき!」って言ってるみなさんも死んでるし!そりゃそうだなんだこれ!

というわけで今回は「チョロ松ライジング」について語ります!語らせてくれ!

 

このアニメは自己責任アニメですが、私はそこからあーこいつらこういうふうにダメなんだな、精神構造欠陥ぼろっぼろの奴らがちょっとずつ何らかのブレイクスルーを経て生きていく話なんだなと思いながら、そう見えるところをすくってきたわけです。ぶっちゃけそれに関しては今までアニメからはっきりとそう言われたことはなかった。それはきちんと自覚してます。私はそう見えてしまったというところから考えるのを始めて、なるべくそこに収束するように情報を恣意的に拾ってきた。全ての読解は恣意的です。もちろんそれがこのアニメをギャグとして日常系ほのぼのとしてもしくはそれ以外として楽しんでいる人も同様に恣意的であることは言うまでもありません。

 

でもさぁ、今回だけは許してくれない?やっぱこのアニメそういう話してるよね?

 

恒例の簡単なあらすじまとめです。

・おそ松とトド松がだらだらしているところへ、チョロ松がダンボールに入れたアイドルグッズを持ってやってきて、アイドルオタクをやめると言う。

・彼は真面目に就活をし、一人暮らしを目標にすると宣言する。

・トド松はそれに対して、いちいち宣言しなくていいから勝手にやれ、宣言したことで満足しているのではないかと言う。

・その後もフリーハグ、自分探しの旅、語学留学などを並べたチョロ松に対し、二人はそれを意識高い系どころではない、「自意識ライジング」だと言い、チョロ松に窓の外に浮く巨大な光る緑色の球体を示し、あれがお前の自意識だと告げる。

・おそ松は小さい球体、トド松はミラーボールのような球体を自分の自意識だと見せ、自分の手に負えない自意識は有害だとチョロ松に忠告する。

・どうしたら良いのかと問うチョロ松を、二人は連れ出しナンパをしてこいと言う。

・おそ松が指す様々なタイプの女性に対し、ナンパをできるわけがない理由をまくし立てるチョロ松の頭上で、彼の球体は膨れ上がる。「自意識ビッグバン」だとおそ松とトド松は逃げる。

・自意識ビッグバンを見つめつづけたチョロ松が、その後、スタバァにてダンボールで作ったPCやタブレットを手に仕事をしているのを見つめる二人。

 

今までで一番まとめづらかった…

 

お分かりのとおり、今回は「問題提起」「可視化」という点において今までこのアニメがやってきたことがぎゅっと詰まっている、良い例に溢れたパートだったと思います。

私はレンタル彼女の時に、「このアニメは問題がどこにあるのか、そしてそれを問題だと思わせるように描くのがうまい」というようなことを語ったんですが、今回は本当にそれがきっちり発揮されています。

常識人でツッコミ役でドルヲタ、そんなチョロ松が、何において間違っているのか、クズなのか、それを今回のアニメは、「ドルヲタであること、女の子がからむとポンコツになることが真の彼の問題なのではない、それ以上の問題が彼にはある」とはっきり言いました。

彼の自意識は肥大化し、有害です。

加えて彼は、自分の自意識の形、状態、場所、そもそも存在を把握していません。

 

 

 さて、それでは松野チョロ松とはいったいどういう男なのか。

私がこのブログで彼について過去に語ったのは、

・彼はおそ松を長男として担ぎ責任と意思決定を担わせ、以下の兄弟たちを平等に保つことで六つ子という共同体を守りそのマネージャーとして自分の居場所を作っている

・自分を六つ子の中の「正義」だと認識している。

・作品中において比較的「信頼の置ける語り手」。モノローグが口からそのまま出ている。

というあたりだったと思います。そういえば彼について本腰入れて語ったことなかったんではないか、ぃやったー!チョロ松くんについて語るぞ!!

一番目は前にそれなりに説明したので省きます。

今回問題なのは、二番目と三番目です。

 

彼は基本的に、思考のパターンが外向きです。

 

男だけの六つ子という環境下で、彼にあっただろう本来の(ライジングする以前の)そこそこの勝気さとそこそこのプライドを持って生きるのはかなり大変なことです。私がチョロ松を見たときにぼんやりと常に感じていたのは「こいつめっちゃ次男!!っていう性格してるなァ」ということでした。

弟持ちの長女かつ幼馴染のほとんどが二人以上の兄弟持ち(東京来て一人っ子という存在にびっくりししました。地方差についてとやかく言う気はないけど少なくとも私の学生時代において一人っ子はかなりマイノリティーです)という私は思うのですが、多人数の兄弟というのは規模は違えど競争がおきます。大抵次男が幾分かよく言えば活発、悪く言えば攻撃的に育つというのはままあることです(異論は認めます)。

彼は六つ子の真ん中として生まれ、生きていく中で他の兄弟より抜きん出るためにどうすれば良いかという生存競争に適応しました。結果、彼は強気に出たり、相手を言い負かしたりする機能に特化しました。自分を弁護し、正しかろうが正しくなかろうが自分の意見を通す。彼は外部から認識されるための手段と技術を駆使することにかけては一流です。

「おそ松くん」時代はそれだけでした。おそ松の悪さの片棒を担ぐ、六つ子の中では目立つ方の存在。暴君。それまでは良かった。まぁそのぐらいの次男を私は何人も知っています。

問題は、彼の場合、そこに「僕が正しい」「僕が常識人でいなければ」というのが絡んできたということです。

 

おそらくこの部分は、「おそ松くん」後、つまり他の兄弟がそれぞれの個性を獲得した後に、連鎖的に彼についたものだと私は踏んでいます。

なぜなら、彼が「常識人」「一番まとも」でなくてはいけなくなったのは、他の兄弟が「まとも」ではなくなったから、だからです。

ある兄弟はナルシストをこじらせ、ある兄弟は暗く無口になり、ある兄弟は奇行に走っています。皆元々どちらかといえば真面目で気弱だった奴らです。次々とバランスを欠いていく奴らを見ているチョロ松に一つの呪いがかかります。

「ぼくはまともでいないと」

相手のマウントを取るプロフェッショナルに、この一種の正義感がプラスされるというのは、有害以外の何者でもありません。

結果彼は、

「自分の承認欲求を満たすために相手のマウントを取る。そのための理屈はめちゃくちゃでも、彼にはその理屈が「正解」として認識される。結果、そのための手段も正当化される。従ってその行為が自分のためのものであることを自覚していない」

という歪な構造を持つようになりました。

 

彼は外向きの力だけにステータスを極振りし、そこに「正義」という思考停止の呪いがかけられたために、自分の内側を向く機会がまったくありませんでした。内省、というものと彼の人生は無縁です。内省だけで生きる四男とは完全に対照的です。

 

彼は「信頼のおける語り手」です。彼は考えたことをそのまま話しますし、そのまま表情に出します。

エスパーニャンコ」において、「じゃあ、これが一松の本当の気持ち…」と言う彼の声は少しはずんでいるように聞こえます。彼は本当の気持ちが晒されることに対して何の拒絶も示しません。彼にとって、本当の気持ちがわかることイコール良い事です。それによって傷つく人がいるということを彼は理解できません。

なぜ彼がそういうふうなのかといえば、彼は自分の考えたことが「正しい」「まとも」であると考えているため、隠したり偽ったりする必要がないからです。

加えて、反論を受けた場合でも、彼は自らの技術によってその反論をたたきつぶす、もしくは中和することが可能なため、決定的な挫折や、「本当の気持ち」によって徹底的に傷ついた経験を味わったことがないからです。

 

本来、「思ったことをそのまま言うと角が立つかな」「ここでそれは言うべきじゃないな」「彼はきっと黙ってて欲しいと思うだろうな」というようなものは、経験則で身につくはずなんです。誰かを傷つけた経験、誰かから傷つけられた経験、それらを反省して、上手い下手はともかく何かしら掴んで人は大人になります。

つまり、チョロ松はあの6人の中でも、決定的に子どもなんです。

普通は、人は思ったことそのまま、嘘もつかずに生身のままで、なんて生きていけないんですよ。現実に「信頼できる語り手」なんてものは存在しません。いや、しないことがそもそも前提なんです。誰も完全に信頼がおけないことを前提に、それなりのところを模索していくのが大人というものです。

 

彼は自分の中身を全く把握も理解もしていません。そのため彼の自意識は彼の手の届く範囲にはありません。

「プライドの亜種」本当に名言です。プライドは自己認識の高さからくるものです。チョロ松は自己認識の時点から怪しい。彼の中身はほとんど手つかずの荒野、外向けの思考ばかりがどんどんと肥大化していきます。

それが臨界点を超えた時、彼は本当に外側だけの生き物と化しました。

巨大化、触手、これはカラ松の花と同じ暴走のモチーフです。自意識が手元になかったせいで何の対処もできず、チョロ松はその暴走を許しました。

 

 

この死刑宣告を言い渡し処刑を行うのがおそ松とトド松であるというのが本当に憎い。彼らはこれらをきちんと把握し、人に説明できるステージにあります。

元々彼らは最も信頼のおけない語り手、つまりは最もコントロールされた対外装備を持つ二人です。冒頭での「まじ信頼できるわ~すき~」という明らかに真意の伴っていない会話を楽しめることからもよくわかります。それは彼らの自意識のあり方そのものです。彼らはその点においてきちんと大人です。おそらく挫折と傷をきちんと受けて人に与えて生きてきた結果です。

後のメンバーもそれぞれの形でそれを把握してはいますが、彼らが言語化できるかといえばおそらく無理でしょう。

 この二人によって、チョロ松は何がダメなのかという指摘、更にそのダメさを完全に自覚するための機会までお膳立てされました。

「はやく死んでこいよ」

その死がこのアニメにおいて何を意味するかは明白です。このパートのタイトルは「チョロ松ライジング」。名前入りの回は各人のお仕置き回です。彼はここできちんと死んで、もう一度蘇らなくてはならなかった。もしくは死体として死体らしいあり方を模索しなければならなかった。そのために絞首台は用意された。

 

しかし、彼がうまく死ねたのかというと、疑問が残ります。

彼が至ったのは、ぶっちゃけ使いたくない表現ではありますが、発狂です。彼はダンボールで作ったマシンを前に、スーツを着、カフェでノマドをし、いもしない相手と電話をします。予告では「兄弟に否定されてばっかだから」キャラチェンジしました。今の彼には「なんか否定されてる」という認識しかありません。彼は外身だけの虚です。

彼はそもそも、過剰な自意識、過剰な対外装備を着込んでいました。そういう人間を、その鎧ごときちんと綺麗に折ろうというのはかなり難しい。

やっぱり彼は綺麗に死ねなかったのではないかと考えています。例えばバイトを経て、自分のキラッキラしている自意識を受け入れたトド松のように、それなりに愛していくとか、そういうところまで至れなかった。かといって十四松のように痛みに浸って泣き喚くこともできなかった。

ビッグバンを起こした自分の自意識に、指摘されて初めてやってみた内省によって飲み込まれた結果、彼は発狂しました。彼は綺麗に死ねなかった。やり方が間違っていたわけではありません。ただ彼の自意識ライジングが治療の難しいレベルまで来ていたというだけです。

 

次回の彼がたいへん気になります。

 

私はずっと「彼は処刑されるべき」「どうやって殺そう」「はやく楽にしてあげてください」って考えていましたがそれがきちんと行われてしまってもうどうしたらいいかわからないんだ。どうしよう。

あと今回の話は全ての肥大化した自意識を持つ皆さんへも同時に行われた処刑でしたね。私は綺麗に死ねたかな。

あとそれぞれの自意識の形の話をもっとしたいんですけど長すぎるので一旦切ります。たぶん今回の話はまた書きます。今回情報量が多すぎ…たのしい…

 

 

お粗末さまでした。