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アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」22話A しんどい私とトド松の使命の話

飴ガチャでホワイトデーチョロ松が出ない。

 

はいどーも!こんにちは。

残念ながら今週からネット配信組と相成りました。地方住まいの悲しみです。

てなわけで今更ですが22話感想です。

 

私は2週間ほど前、20話の感想にて、「もうなごみの時間は終わった。このアニメは本質にあった殺人を示してきた」というようなことを書きました。

とはいえ、これを書いた頃はもちろんその後の展開なんてわかりませんから、「今回はなごみやめる宣言として読めるよと言ったところで、実を言うと次回は全然違う話かも知れないし、もっともらしいこと言っておいて全然自信ないし、まぁ可能性の一つだよ、次回超なごんでたら、そんな疑問は徹底的に知らんふりー!!してごまかそう、ガハハ」というあたりが書いていたころの感覚だったのですが(ひどい話だ)

やっぱり、22話を見て、こいつらはもうなごんでないんだな、というような感覚を持った人は私だけではないのではないかと思います。

 

私はずっと、このアニメは個人の成長と自立の問題と家族の問題を描いていると思って見てきたのですが、今回はついにそこにきちんと踏み込んでいた気がします。それはもうぼんやりとした、汲み取れる人には汲み取れる類いのものなどではなく、えげつないほどに直接的でした。

というわけで今回はAパート「希望の星トド松」の感想を中心にしたいと思います。Bも大好きです。なんてったって世界が滅びていますし!

 

恒例のあらすじまとめです。

・トド松が合コンのメンバーを1人探しているが、気軽に話せてそれほどモテない友人がなかなか見つからないという。

・その条件に自分たちは当てはまっているはずだと5人は言い、トド松はしぶしぶ合コンに連れて行く一人を選ぶため、女装をしてオーディションを開く。

・トド松が、自分が童貞を脱しワンランク上の人間になったら迎えに来るからどうか足を引っ張らないで欲しいと演説をした上でのオーディションだったが、5人は適切に振舞うことができず、おそ松は自分たち兄5人がダメ人間であることをトド松に謝る。

・家を出ていったトド松の前に、合コンの神様が現れ、お前は兄達を見捨てられないから悩んでいるのだろうが、合コンに連れて行きたい相手は決まっているはずだと諭す。

・結局、友人のアツシくんを合コンに連れて行ったトド松だったが、女の子には「何も無し男」と呼ばれ、全く相手にしてもらえなかった。

 

なんつーかまとめててもひどい、ひどいしか言えない感じですね。最後なんてね、こんなんやられたら私だったらもう3日は寝込みますよ。

 

さて、「おそ松さん」は2クール目において時折、1クールめの、伏線回収、連続性の強調、同じモチーフの利用などが見られていましたが、今回も同じように、4話「面接」と既視感を感じるシーンなどがありました。意図的だと私は思います。Bにも伏線の回収が見られました。

というわけで、今回は「トド松と五人の悪魔」のリフレイン、というよりも、一種のアンサーに近いものであったのではないかと思います。

この二本は共通して、「ワンランク上(外部とのコミュニケーション、就労、童貞卒業、馬鹿にされない人格etc…をクリアしている人間を指す)になろうとする六男、それの邪魔になる5人の兄」という構造を持ちます。結局六男がワンランク上になり損ねるというオチも一緒です。

しかし明確に異なっている点が2つあります。一つ目は「松野家家族ゲームの存在」であり、二つ目は兄達の「故意」です。これが二つのストーリーが1クール目と2クール目にある理由としてあり、すなわちなごみの魔法が消えたことを明確に感じさせる点としてあります。

 

というわけで、そこについて考えるためにも、トド松という人間について考えたことをつらつらと書きたいと思います。

トド松という子への22話までの私の評価はこうです。

「六つ子の中でも高いコミュニケーション力を持ち、空気を読むことが上手。兄弟たちを地獄の足枷と感じ脱出を試みるが、松野家家族カーストゲームでの他の兄弟のルールに触れるため全力で阻止される。普段は長男に同調し発言力を持つが、実質は下位。環境によって思考停止させられていたが、「ライン」回周辺でカーストから離脱することに成功。プライドは高いが自己肯定感もそこそこ持っている。」

 

松野家家族ゲーム観については以前のものを参照いただくとして、とりあえずはトド松はこの家族において弱い位置にいました。なぜなら、この六つ子は最近まで、主に三男と四男によって保たれてきた均衡のなかにあり、彼はそれを崩しかけては粛清されていたからです。

そのために彼は、パチンコで勝ったことを隠したいと思いつつも何もできなかった。思考停止状態にあったわけです。

 

そんな彼の枷であった松野家の家族ゲームは、いまや完全に停止しました。四男は自分を危険人物として演出し兄弟を管理することを放棄し、三男はダメ人間であることを認め六つ子の正義の座から降りました。松野家は大きく変質しました。

その結果、彼は今回、「足をひっぱらないでほしい」ときちんと告げることができ、兄弟たちはそれに異議を唱えませんでした。ものすごい変化です。とんでもない変化です。

彼をとりまく状況はずっと改善していると言って良い。彼はもう迫害の対象ではない、希望の星です。

 

しかしながら、この変化によって、彼は同時にとんでもなく残酷な現実を叩きつけられることになります。

それは、「お前の兄弟はクズだ」ということ、「しかしお前が最下層にいるのは、兄弟だけが問題だったのではない」ということ、そして「お前は外の世界では大したことのない、何も持っていない男だ」ということです。

 

「五人の悪魔」では、完全に兄弟が悪者でした。そしてあれはわざとやっていた。ゲームのルールに反した弟を制裁するために彼らは店を荒らしました。あれを見た視聴者も、トド松自身も、彼が自立してうまくやっていけないのは兄弟が足を引っ張っているせいだと感じたはずです。そしてトド松があの中で最もまともな、最も自立できる可能性のある人間だということも明白だと思えるようにできていました。

しかし今回、兄弟たちは(おそらく)素です。家族ゲームが崩壊したあの時点で、うまくいけば女の子と知り合えるチャンスを台無しにしてまで悪ふざけをするメリットはありません。

5人がとんでもないクズっぷりをここぞとばかりに披露してくれたわけですが、それを目の当たりにした上で、トッティは「でもそんなのはお前のダメさとは関係ないよ」と言われるわけです。もう兄弟たちのせいにはできません。彼が呼んだのはアツシくんであって兄弟の誰でもなかった。あの場でトド松が相手にされなかったのは彼に原因があります。

 

しかも、今回わかったことですが、彼が合コンをセッティングし、面子を集め、なんとしてもそれを成功させようとしていた理由は、もちろん彼の意志はありますが、それに加えて「義務感」がありました。

以前三男の話をしましたが、彼もまた、六つ子という集団が変化していく中で、「僕はちゃんとしていなきゃ」という意識を背負わされていた人間でした。

ただ彼の場合は、自分というものを理解し、自分の特技や長所を把握し、六つ子の状況を把握した上での「ちゃんとしなきゃ」でした。「ルックス担当誰がやんの?」という台詞からもわかるように、彼は「六つ子の中での自分の立ち位置はどういうものか、どういうものであるべきか」という視点を持っていました。彼は自分が兄弟の中で比較的、コミュ力が高く空気が読め目立つのが好きで愛想が良い、平ったく言えば社交的であると考えた上で、その「六つ子を社会的に存続させる」任務を負うことを引き受けました。

 

つまり、つまりですよ?あの神様の言うことが正しければ、トド松は六つ子の存続という使命感を持って動きながらもその方法が原因で粛清され最下層にいた、ということになるんですよ?すんごい可哀想。ものすごく可哀想。

「こんな兄ちゃん達で、ごめんな」「恨んでるよな」という長男の言葉(あまりにもど直球に家族問題に踏み込んできてびっくりしたのですが)を聞いていたトド松の内心はものすごく複雑だったことでしょう。

 

というわけで、そんな希望の星トッティが一人きりで合コンという社会的な場で叩き潰されることは、六つ子を救える価値ある存在であるという自負、そのために迫害に耐えた過去、加えてそれの根本にあった社交的であるという自己認識、すべてを無に帰してくる大事故だったわけです。

 

こんな残酷なことがあるだろうかって感じです。彼を相手にしない女の子から与えられた名前は「何も無し男」。たぶんあの時のトッティは「そんなことないよ」と反論する気力はなかったことでしょう。彼の陥っている状況はわざわざ言われなくてもその事実を痛感させるものでした。

もう彼には「兄弟が足を引っ張るから」という誤魔化しは効きません。みんなのために、という苦しくも甘い使命も効きません。なごみの時間は終わりました。彼は一人きりで「何も無し男」から再出発しなければなりません。

 

なんというか、今回えげつないのは「兄弟のため」という概念をはっきりと出してきて、それを破壊してみせたことだと思っています。いい話に見せかけておいて、やっぱりそうはさせない。ドライモンスターと呼ばれるトッティが兄弟のことを本当はきちんと思っていた、それは確かに喜ばしいことかもしれないけれど、単純に「よかったね」で済ませていいことじゃない。そもそもトッティはレンタル彼女の時にわかっていたように、誰かに頼られては「しょうがないなぁ~」と言いながら力になってあげることに快感を覚える人間だったのですから。 

「誰かのため」に動くことを気力にしてしまいがちな人間にとっては非常にお腹の痛い話題です。私だ。

何ていうか、誰かのため、に動くのが好きで、でも実際はそれが自分の不満やら承認欲求のための道具であることも確かで、でも誰かのために、は別に嘘をついてるわけじゃなくて本当にそう思っていて…う~んスパイラル。

でも、「誰かのため」をもう使えないよ、と言われたら途端に自分の中に何もなくなってしまうという状況は非常にまずい、ということはわかっているのでなんとかしたいと思います。これからの抱負です。頑張ろうぜトド松……

 

という、最終回を目前にして二番底作ってくるとは思わなかった今回でした。

 

余談ですが、トッティが「何も無し男」扱いに合コンという場でなってしまう理由の一つには、「会話のフックがあまりにもなさすぎる」というのはあるだろうなぁと思っています。

同世代の子とこれから仲良くなるためのお喋りをしようとした時、とりあえず学生なら大学、社会人なら会社や業界の把握から入るのって順当な方法だと思います。ああこの人は自分よりこのぐらい上か、とか、共通の知人を探したりとか。車持ってるってことはこのぐらいの仕事か、とか。そこから会話を広げていったり、話し方を変えたり、そもそもこの人と話し続けるかどうかを決めたりする。そもそも相手の簡単なステータス無しに会話を繰り広げるのはかなり不安です。まともなコミュニケーションをとりたいと思う人程、相手との関係を測って適切な対応をしようと考えます。

彼は決定的にそこに欠けている上に、おそ松などと違いニートであることを誇らしく話すこともできない。彼はそれをやったら女の子は絶対にこっちを向かないことが分かっています。だから話すきっかけがない。家族のことも恥ずかしくて話せない。黙るしかない。そりゃ趣味も増えるわけです。

2話でのハロワなど相手の立場がわかっている場、今日一日楽しく過ごす軽く無責任なデートは乗り切れますが、さああわよくば今後につながるトークをしようという場では結構辛いものがあるのではないかと思います。

 

でも逆に言えば、つまりはそのステータス方面がなんとかなれば改善の余地は十分にあると思うんだけどなぁ……

まぁ彼はたくましい強い子だし、頭も良いのでそのうちなんとか策を考えてくれると思います。期待してます。

 

次回からしばらくこられないかもしれません。さびしい。

更新できない間にまだまだいろいろ考えようと思います。

 

 

お粗末さまでした。