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アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」24話B しんどい世界でしんどい私はそれでも前に進むのかという話

そして一人だけになった。

 

はい、いつもありがとうございます。

24話、観ました。

みんな元気?大丈夫?お腹壊してない?大丈夫?私は無理。

 

私は2話からずっと、この自己責任アニメを、主人公として生きられなかった子供たちが楽園を失ってそれでも生きなければならないという事実にどう立ち向かうかという話をしていると考えて、それにくっついて走っていこうと思って見続けてきました。気づけば半年です。結構な時間を奴らと過ごしています。

そして序盤「家庭問題?自立?そういうふうにも受け取れるかもね」ぐらいだったギャグとストーリーは、18話からその「なごみ」を取り払って正面から「俺たちはこのままではアカンのとちゃうか」ということを扱うようになりました。ずっとこうやって騒いできた私にも予想外なほどの直球です。

それのゴール地点が、今回の「手紙」であり来週やってくる最終回(死にそう)だったと思っています。次回が今回のゴールの延長なのか、また別のゴールの見せ方をしてくるのか、それはまだわかりませんので楽しく怖がるしかないのですが、今回が一区切りだったのは間違いないわけです。

 

今回は本当に綺麗に様々なことの回収がなされた回で、今まで半年走り続けてきた人々ならああと納得し感慨を覚えるような仕掛けが様々に施されていたと思います。というわけで感想を今回もつらつらと語っていこうと思います。

 

以下24話Bパート「手紙」恒例の雑なあらすじです。

・チョロ松の就職が決まり、プレゼントを贈り盛り上がる一家に対し、おそ松は終始不機嫌。騒いで彼にぶつかり寿司を落とした十四松を蹴り飛ばす。カラ松はおそ松を殴り倒す。

・そんな一幕があった後、チョロ松がイヤミの車で会社の寮へと旅立つ。おそ松は見送りに来なかった。

・長男と喧嘩をし、トド松は家を出ていく。

・続いてカラ松がチビ太の家に居候しつつ就活することを決め、十四松がバイトを始めてデカパンに家を借り、一松も家を飛び出す。 

・それぞれが新しい場所で生活する中、おそ松だけが一人、表情を無くし、トト子ちゃんにデートに誘われても無言なままでいた。

・そんな中、おそ松にチョロ松からの手紙が届いた。

 

というところで終わる今回。つらい。何のアニメだっていうレベルでギャグアニメを捨ててきています。すごいぞ。こりゃお墓が建つぞ。

 

今回どういうふうに感想をまとめていこうかなぁってずっと考えていたんですけれど、それぞれにパチンパチンとピースがハマるように今までの回収をしていっていた気がするので、一人ずつコメントをつけていく方式にしようかなと思います。

 

まずはチョロ松。就職おめでとう。本当に立派になったな君は。

彼の今回のポイントは3つあります。

一つ目は、「父さんの知り合いの会社」に就職したこと。

あまりにも今までの苦労は何だったんだっていうレベルのスピード就職だなと思ったら、どの程度かは分かりませんが何らかのつてを頼っての就職だったようです。

つまりはですよ?彼は、想像の範囲でしかないですが、父松蔵に本気で就職したいと告げてそういう運びになったわけです。トド松は「気楽だ」と言いましたがそんなことはない。むしろ逆です。父親の何らかの縁で紹介された仕事をどう扱うべきか考えられるぐらいの常識が彼にはあります。一人で適当な時間にハロワに行くよりもよっぽど「もう戻れない」「なかったことにできない」選択をしたんですよチョロ松は。それって、今までのチョロ松に一番できないことでした。言うだけ言って、やらない。安牌を狙って思い切ったことをしない。そういう誤魔化しじゃない本当の覚悟を人に告げられるところまで成長してるんですよ。

二つ目は、彼が嘘をついたこと。

カラ松がチョロ松ににゃーちゃんのグッズをプレゼントとして渡すシーンがありました。彼はあの時、ちょっと躊躇った表情をしてから、ありがとうと言ってそれを受け取りました。

あの時のチョロ松は確かに、「自分にはもうこれはいらない」という気持ちを抱えてからそれを抑えて、「ありがとう」と言いました。「欲しかったんだよ」とまで言った。彼は今まで「オープンリーチ」、モノローグがそのまま口から出る男でした。以前の彼だったら、何かしらツッコミを入れるなり、文句をつけるなり、少なくとも正直に自分にはもう必要ないことを言ったと思います。もらうもらわないは別にして。ついでに相手は、わりとぞんざいに返答しても大丈夫という位置にいるカラ松です。おそらく本編で初めて、チョロ松が「相手のことを考えて、思ったことを抑え、隠して嘘をついた」瞬間だと思います。ライジング回感想で語ったように、ここは彼の問題の一つでした。彼ちゃんと成長してるんですよ…

三つ目は、彼がイヤミの車の中で泣いたことです。

イヤミは彼を送る途中言います。「仕事なんてすぐに投げ出すのがオチだ、人間は変われない生き物、希望は捨てろ」その時チョロ松は黙って歯を食いしばるように涙を流していました。

「調子が狂うザンス」その通りです。以前のチョロ松だったら、絶対何かしら言い返していたんですよ。私はここでチョロ松が泣いたのは、イヤミの言葉が正しく反論の余地がないことを、彼が痛いほど思い知っていたからだと思います。彼はやるべきことを投げ出してしまうクズなダメ人間である自分を認識しました。この世に希望がないことも知っていました。そして彼はそれを怖い、悲しい、辛い、しんどいことだということも感じました。

しかし私は、彼がそのしんどさを思い知った上で、それでも、後戻りはできない場所へ進もうとすることをとても美しいと思う。ものすごく価値がある行為だと思うんですよ。チョロ松にとってライジングも神松の出現もダヨーン族との邂逅も全然無駄じゃなかった。何一つ無駄なことなんてなかったんですよ。

彼は無条件の愛と、アイドルと、同じく彼のアイドルであった長男を捨てて、松野家から物理的にも精神的にも離脱しました。それはものすごく痛いことだけれど、ものすごく勇敢な答えであるように思います。

チョロ松くんだけで長々やってしまいましたが彼は成長譚としてのこのアニメの主軸だからね仕方ないね。ごめんなさい。

 

続いてトド松。

彼は既に精神的にも最も自立に近いところにいたと思うので、「ひとり暮らし。僕はそこから始める」という選択はとても正しいと思います。彼は今まで、最も自立しながらも、兄弟から妨害をうけるのに加え、気楽だから、家族を見捨てられないから、自分が兄弟にとって有用だと思いたいから、などなどの理由での環境への依存を捨てきれなかったが故に、松野家で生きていました。無理矢理にでも環境を変えれば何かが変わることは明らかです。

印象的なのは、おそ松と殴り合ってから家を出たことでしょうか。彼はおそらく熱海旅行のパンフレットで長男を殴りました。(たぶん)10話で長男が言い出した熱海旅行ですが、それで彼はチョロ松の見送りに来なかったおそ松を責めた。この部分がサイレントなのでトド松が何を考え何を問題視してどういう意図でおそ松を殴ったのかは全くわからないわけですが、私はこの旅行を「現実逃避」と見ます。トド松がおそ松に言いたかったのは、「ちゃんと現実見ろよ、ふてくされて八つ当たりしたってなにも変わらないだろ」その上での家出、「一緒にいないほうがいい」だったとしたら、彼はドライモンスターだなんてとんでもない、最後まで兄弟思いだったと言えるでしょう。

 

カラ松くん。本当にお前は凄い奴だ。本当に。すごい。すごいよ。最高。

無い語彙力を駆使して何とかしようと思います。おそ松が沈黙する中、代わりを務めるようにチョロ松を讃え家族の音頭を取るという選択、荒れるおそ松を殴ってから外に連れ出した処理能力、今回の彼には正しく居場所があり、それを理解していました。トド松の言葉に続くように、「このままじゃダメになる」と彼はとにかく家を出てチビ太の家に頼み込んで居候し、就活をすることにしました。

私はこの回は、9話Aのアンサーであると感じました。

9話A、私本当にあれ「地雷です!」って感じなんですけど、今回で本当に救われた気がします。一方的な親切心でマウントを取ろうとするチビ太に、なんの対処も反論もできず「話を聞いて」「出来るわけない!」「怖~~~!!」と叫んでいたカラ松はもういません。今回の彼は、100%自分の意志でチビ太に助けを求めました。そしてチビ太もあの時のチビ太ではありません。おでんと自分の愛着問題について考えた後のチビ太です。花からそれぞれ学んだ二人がここできちんと個人同士の新しい関係を持てるとしたら、それは本当に尊いことだと思います。

9話の時点のカラ松、そして六つ子はまだ「俺があいつで俺たちが俺」。しかし今回のカラ松は、「俺たち六つ子は…いや、俺は」と言い直しました。私はこれも大きい変化だと思っています。「あいつがダメになるかは知らないが俺はダメになる、それは確かだ」と言っているわけです。他の5人を自分と同一視することをやめた。「私たちは~」と意味もなく主語をでかくする、Royal Weなんていう言い方もありますが、他人の考えを自分が勝手に設定するのって、本来失礼なことなんですよね。六つ子は生まれてからずっとそれでやってきた。ここで彼が「俺は」と言ったのは自分自身を誰にも自由にさせない個人として認めるだけでなく、チョロ松やおそ松兄弟達をも自由な個人として認めることにつながります。

誰にも俺を自由にさせない、という意志を持つという準備を整えて、彼は以前から確かに手を差し伸べてくれた人の手を自分から取りました。ものすごい進歩です。そして9話トラウマの解消を本当にありがとう。

 

十四松。

彼は工場でのアルバイトを始め、デカパン博士が住むところを貸してくれました。

彼の難関として描かれたのが実際の工場労働の方ではなくバイトに採用されるところから、というのは納得がいくところです。4話の電話の取り方との対応が今回の電話の受け答えにあります。工場労働の方はブラック工場できちんと働けたように問題はありません。問題は、彼が家の外で「十四松」という一人の存在として誰か別の個人と向き合えるかというところにありました。周囲の雰囲気によってふわふわと形を変える十四松。今回機嫌の悪いおそ松につかずに多勢の盛り上がりに加担したことでもそれはわかります。それでも彼は17話のような思索の末に「僕は十四松」という真理を手に入れました。もう彼は十四松として外に出ることができます。

また、今回ハタ坊も同じ工場にいることがわかりました。もうなごんだ死体を売ることもやめた彼は、社長を辞めて工場で働いています。ハタ坊と十四松は「無垢で無邪気(に見える)な圧倒的力」という共通点がありましたが、個人的にここについてはもうちょっと考える余地が有るなと思うので保留です。ただ、社長とその友人、ではなく十四松とハタ坊として、フラットにまた付き合うことができる、というのは十四松にとって嬉しいことだったのではないかと思います。

 

一松。お前な~~~~~~~~~~~!!!大好きだよ。

彼はおそ松にこれでいいんだ、と告げて家を出ます。何のあてもなく本当にただ家を出ました。

夕食の席でチョロ松を馬鹿にすることなく讃え、荒れるおそ松を外に出したカラ松の意思を汲むなど、六つ子の維持に努めてきた彼はもういません。次の飼い主にしたように見えたおそ松の肩を持つこともしません。それは彼の諦めでもあり、出てゆく兄弟達への思いやりでもありました。六つ子を維持することを通して自分のエゴを見つめてきた彼はそれに向き合い、全てやめました。今まで「そっちのほうが楽だから」という理由で、つまりはそれも自分のエゴで付き合いつづけてきた猫に別れを告げ、彼は一人で出ていきます。

猫カフェの面接に出向く頭と力は持っているのになんでそのまま出ちゃうかなぁっていうのが疑問だったんですが、逆にすごい選択だったんじゃないかと思えてきました。彼は本来頭のいい子です。そして、ずっと自分が「賢い」ことに振り回されてきました。人の裏切りや言葉の裏に気づいてしまう、卑屈になって猫と戯れてもそれが誤魔化しであることもちゃんと知っている、馬鹿な周囲の人間を馬鹿だなと笑いながら、自分が馬鹿になることはできず寂しい、でもそれって全部自分のエゴ、そして自己嫌悪、ループ、ループ…そんな奴が、何のあてもなく外に出るのは無茶だということを考えなかったわけがないんです。それでも彼は家出をして、言わばホームレスになった。一世一代の馬鹿をやったんですよ。計算とエゴを捨てた。あれはそういう家出だったのだと思います。

その結果まあ当たり前に彼は飢えるのですが、そんな彼を救ったのはいつかのカップルでした。ラーメンをおごられた彼は、ここでやっと、「他人から面倒をみられて生きるのはどういうことか」ということを認識したのではないかと思います。人から、見返りなしにご飯をもらう、これは今までの彼の生活と同じだったはずです。しかし、依存体質の彼にとって、親は他人ではなかった。他人として家族を認識していなかった彼はやっと、ニートであることに向き合ったのだと思います。そしてきちんとお礼を言いました。依存しているときって、相手の行為もどこまでも自分なので、何がお礼を言うべきところなのかがわからなくなるんですよね。

一杯のラーメンはもちろんとんでもなくありがたいものだったと思います。彼はそのありがたさを噛み締めたでしょう。でも同時に、プライドの高い彼にとってそれはみじめなことでもあったかもしれない、屈辱であったかもしれない、なぜ自分にこんなことをしてくれるのだろうという恐怖や戸惑いもあったかもしれないと私は想像します。でもそれは、気づいていなかっただけで今までだって等しくそうだったのです。どちらも直接描かれはしませんが。

よかったね一松くん。君が変わりたいと願ったことを、私は本当に嬉しく思います。

 

 

というわけで弟たちについてはこんな感想を持ちました。

彼らなりの、たどり着いた答えとして、本当に美しい話だったと思います。

別にニートが悪いという問題ではなく、「この世は厳しい」「避難所としての無条件の愛はいつだって存在する」「しかしその中にいるのもそれなりの苦痛を伴う場合がある」「無条件の愛を抜け出して厳しいこの世に自分の場所を自分で作れ」ということに向き合った結果、彼らにはこういう答えが出た、ということです。その結果ニートをやるのが自分には一番良いのならそうすればいい、事情によりとりあえずしばらくニートでいる必要があるというならそれでもいい、ただ認識した上で選択しろと、そういうことを言っているわけですよ。彼らにはニートはもともと向いていなかったのだと私は思います。

当たり前のように、この世は厳しい。その選択が正しいかはわからない。チョロ松は苦しいしカラ松もしんどいし十四松は痛い。それでも選択には価値があるだろと、そういうところまできちんと描いてくれたところが誠実でした。

 

ようやっと長男の話ができる!と思ったのですが明らかにすさまじく長くなるので分けます!ごめんなさい!ここまでスクロールありがとうございました!しばしお待ちを!

 

 

お粗末様でした。