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バックヤード

アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」25話 そして私のしんどさはチャラになったのかという話

満足だ、おそ松さん!

 

はい、最終回を迎えてしまいました!みなさまいがかお過ごしでしょうか!!

 

初めてかもしれないな、リアルタイム進行でこんなにも楽しみ続けられたアニメは……もうこの先もないと思うので個人的にものすごく記念すべき作品になりました。

まぁそんなまとめはまたこんど改めてすることにして、今回は25話の分のまとめをしてしまいたいと思います。

重たすぎる24話を経て、どのように落としてくれるのかと考えていたところでしたが、まぁ台無しまでは予想できてもちょっと台無し具合がもうね、人類最後のギミックによるカラミティレベルの破壊力だったのでね、もう大の字になって笑うしかありません。

本当になぁ……スタッフの勇気を讃えたい……ありがとうございました……全力バタンキューすぎだろ……

 

今回の話は、構造から言えば18話型、全体の物語と進行は同じ世界、しかし起きるのは全くの非現実的出来事、という構造になっています。加えて、一つのゲームフィールドが用意され、優勝するとメリットがあり、そのために競い合うという、これも18話と同じストーリー構成ですね。

 

恒例のあらすじまとめです。

・ひとり家に残るおそ松の元に届いた手紙は、彼らが「センバツ」に選ばれたという通知だった。ちなみにチョロ松がおそ松に宛てて書いた手紙は何故か燃えていた。「センバツ」のために散っていた六つ子は呼び戻される。

・松蔵が何の「センバツ」なのか判読できないまま、開会式が始まる。宇宙人のような人物が謎の言語で挨拶。分からないと叫んだ聖沢庄之助は射殺される。

・試合が始まるが、上手くいかず拗ねるおそ松、チアガールにポンコツになるチョロ松、野球にはしゃぎすぎた十四松の暴走などによって松野家はコールド負けする。

・それから一年後、彼らは強くなって、もう一度センバツに出場、ライバルたちに次々と勝利し、決勝に出場するため宇宙へと旅立つ。

・決勝の相手の第四銀河高校の宇宙人たちの攻撃によって9回裏、チビ太やイヤミ、今まで登場したキャラクター達が次々と死に、松野家はピンチに陥る。

・そんな時トト子ちゃんがいきなり全裸になり、勝者に自分と一発できる権利を与えると叫び、六つ子はやる気を出すが、結局第四銀河高校に負ける。

・四銀高校歌が流れる中、六つ子たちは宇宙に散り、終了。

 

すごい!!文章にしてみても全然わけがわからない!!でもこれ以上どうにもならない!!どうやったらこんなトンチキなものが生み出せるんだ!!!!

 

前回ですね、24話についてまず最初に彼らの成長について、次に赤塚マンガの世界というメタ視点のアニメにおける展開について、というふうに二本でまとめました。

今回の25話というのは、彼らの成長と生き方についてと、赤塚マンガの世界を現代に蘇らせることについて、という二本の軸を成り立たせていたのだと私は思っていて、自分で言うのもなんですが前回の私をちょっと褒めたいです。

 

まず、メタ的な視点についての話です。

24話で、おそ松は赤塚マンガの主人公になれないことに辛さを感じていたと読みましたが、25話は元の、いえいままでの「おそ松さん」以上にナンセンスギャグに振り切った回でした。彼らのなごみの魔法は復活し、それに覆われた狂った世界がまた実現しました。

おそ松は、元々、この赤塚先生の作った国を維持することが自分たちの義務であると考えている節があります。そのため、「働くこと」「家を出ようとすること」、つまりは赤塚先生の意思から脱出することを「贅沢だ」と考えます。

そして彼は、六つ子の離散に悩んだ末に、やはりこの世界を赤塚先生のものにすることを選びます。なごみ探偵があの世界を狂気で包んだように、彼はもう一度、魔法をかけ直し、このアニメが始まった日に彼の、そして赤塚先生の世界にヒビを入れた聖沢庄之助を、今度こそ射殺します。

しかしながら彼だけでは赤塚先生の世界を作り出すことはできませんでした。今回の物語には共犯者がいます。チョロ松の手紙を燃やし、24話から25話への可能性の分岐を捻じ曲げた存在がいます。それはこのアニメの制作者たちです。

センバツ大会の競技場の後ろに、大きなガスタンクがありました。書いてある文字は「藤田ガス」。藤田と言えばもちろん、このアニメの監督藤田陽一さんです。

私はずっと、このアニメにおける灯油、火を「暖かい場所、自分の居場所」と言ってきました。それではおそ松たちにとっての居場所であり暖かい場所はどこだったのかと言えば、もちろん松野家、それに加えて、この「おそ松さん」という舞台そのもの、そしてそれを楽しんでいた読者たちでした。作者が亡くなり、アニメも終わって27年が経った彼らに、もう一度、暖かい場所、つまりは舞台とスポットライトと観客を用意したのは、藤田監督、そして制作スタッフです。

彼らはおそ松と共に、もう一度正しく赤塚先生の世界を作ることを実現しました。結果、彼らはわけがわからない大会にいきなり出場し、誰のものかわからない墓参りもするし、突飛な手を使って敵をやっつけます。誰もその世界にツッコミを入れることはありません。聖沢庄之助という18話で主人公となった真理の象徴を射殺したからです。主人公はまた正しくおそ松のもとへ戻ってきました。それが良いことか悪いことかは置いておいて、そういう大きな改変が起こった。世界にはもう一度火がもたらされたのです。それは良いことでも悪いことでもありました。

今回は、一つの制作スタッフが何をやりたかったのか、ということだったのだと思っています。今回のアニメというのは言ってみればセンバツ2年目、赤塚ヒーローになりそこねたおそ松へ与えられた再チャレンジのチャンスです。その上で制作サイドの彼らは、恩や義理やしんみりしたムードなんか捨てて墓石を蹴り倒して生きろと言った。それでこそヒーローなのだと言った。

 

前から言っていますが、このアニメはなんというか本当に「リバイバル」「リメイク」の最高の形だったと思います。なんというか青い花ちゃんの言葉を借りれば「縮小再生産」じゃない。それでいて、全くの別物でもない。それが最終回できっちりと実を結び形になりました。

 

 

さて、それではその物語の中で六つ子たちはどうなったのか?ということが問題になってくるわけです。

以前書いたとおり、六つ子たちは24話かけてそれぞれ自分の汚さを知ったりこの世の無意味さを知ったりと、それこそ踏んだり蹴ったりな勢いで揉まれ、それを通してなんだかんだ何かを掴もうとしました。その結果が24話という一つのエンディングです。やはりあのアニメはあそこで一つの決着をつけていました。今回は18話型、連続性があるようなないような、浮いた時間軸です。

私は25話をエクストラステージとしての全体の総括と見て、負けて一年たって戻ってきた二年目のセンバツを、このアニメ本編の一種の再現だったと見ます。成長し個性という武器を手に入れてカムバックした彼らは、それなりにこの世と渡り合っていく術を持ち、悪であることに開き直っていますが、それではまだ弱い。

彼らが二年目のセンバツで手に入れて、そして最強の敵の前で失ったものは、彼らを愛してくれたもの、愛したかったもの、そして同時に虚像でもあったものたちです。ニャーちゃん、彼女、青い花、神松、アイダとサッチン、石油王、ダヨーン族の少女……それらが次々と殺されていく様は、本編と重なります。

それらを全て失って、裸にされて残ったのは彼らが「童貞」であることでした。

このアニメにおいて正しい定義から外れて使用されている「ニート」という言葉を「無条件の愛の保護下にあり生きるための闘争のない状態」とするのならば、「童貞」も何かに読み替えられると考えられます。それはおそらく「性行為経験がないこと」だけを指すのではない。言うなれば「子供であること」「無垢であること」「経験したことのないものを夢見ていられる頃」です。彼らに残ったのはそれだけで、それだけで最強の敵に立ち向かおうとしました。

そして、「無理なものは無理!」と叫んで宇宙に散りました。生まれたまま、「童貞」のままで、です。何が無理なのか?といえば、最強の敵、まあつまるところこの世界というものに勝利し「童貞」を捨てることでしょう。

 

僕たちは純粋無垢な子供だ。子供であるが故に自分を愛してくれる虚像に夢を見て、それが死ぬこの世界の怖さと汚さを嘆くのだ。それでも死ぬ気でやってみて、でもやっぱり限界はある。僕らは子供であることから逃れられない。

 

それではそんな事実をこのアニメは嘆いているのか、讃えているのか、と言えば、やっぱり賞賛しているのではないかと思います。

ここは「センバツ」。何のセンバツかは全くわかりませんが、明らかに元ネタは選抜高校野球です。それは高校生たちが命を懸ける青春の舞台です。そして、彼らが今まで命を懸けてきた青春というものを讃える場所です。

私は高校時代を部活漬けで過ごしていた学生で、まぁ目指せ全国大会で頑張っていたので一種のセンバツだったわけですが、本当にあの頃の自分はどうかしていたと思います。朝から晩までそのこと考えて、生きるのに直接関わらない、めちゃくちゃ小さい問題の解消に延々時間使って悩んで、喧嘩もして、みんな狂ったような目をして、そして夢を見ていた。その時間の末に叩きつけられるのは、自分とチームの限界です。これ、私だけの経験じゃないと思うんですけど、上の大会に上がって本物の強豪校とか見たりすると、ああ、無理だわ、ってなるんですよ。いやならないで努力できる人が本物なのかもしれない。でも、悔しいとかもっと練習すれば良かった後悔とかが全部消滅して、ああ、こうはなれない、っていうのが降ってくる瞬間がある。私にはあった。

じゃあ練習しなくてもいいのか、しゃかりきにやるのは無駄だったかっていうと、そうじゃない。その「無理」はベストを尽くした上にやってくるものだという気がするんですよ。てきとーに頑張っていたら、きっとただ悔しかったり、卑屈になったりしていたんじゃないだろうか。

 

最後にセンバツという舞台を用意したこのアニメは、その彼らが「童貞」であること、愛や理想の死を経験すること、そして訪れる限界の自覚、それらを「青春」として讃えます。「童貞」であることを謳歌しようよ、どんなに愛や理想が死んでも夢を見ようよ、どんなにくだらない憧れでもいいよ。それが叶わないことに思い切り悩もうよ。そうやってバタンキューするぐらい全力で子供でいようよ。

 

それでいいのだ。

 

彼らは優勝しません。彼らのダメだった過去はなんにもチャラになりません。それはいつまでもそこにあるもので、就職しようがしなかろうが変わりません。

24話で彼らがしていた就活や就職やバイトや放浪、そして「赤塚先生の世界を実現すること」で何が解決するかって、やっぱり何も解決しません。たぶん奴らは働いていたっていつまでも寂しいし、いつまでも夢を見ていて、いつまでもどこか対人関係に問題を抱えるでしょう。きっとしんどいままです。でもそれはこのアニメが讃える「青春」の形であるという点において25話と何も矛盾しません。彼らは考えて考えて、全力で本気出して悩み続けることを決めたのです。そこからまた「無理」を知る旅が始まります。本気で生きなければ見つからなかった限界です。

 

やっぱり半年使って考えたけど、私だって一瞬で生き方変わることなんてないし、変わってたらこんなに悩んでないし、 やっぱりどこまでいったってしんどくて、それはチャラにはならない。それはきっともう私の一部です。しみじみするほど。

でも、そのためにちゃんと全力で悩め、決してムダなんかじゃない、そしてそれはきっと美しいことだ、そしてたぶん、誰もがきっとそうだ、というのは、本当にありがたい言葉だと思います。

ありがとう。追いかけ続けてよかったなと思います。

 

というわけで、今回の感想を締めさせていただきたいと思います。

本当に今までお付き合いありがとうございました。総括する記事をもういちどまとめとして書きたかったんですが25話があまりにも総括だったからな……枝葉はだいたいついったーで喚いてるし…でもきっと何か書きます。しばらく忙しいのでいつになるかわかりませんが、近いうちに。

 

 

お粗末様でした。