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アニメ「おそ松さん」を血を流しつつ視聴する

「おそ松さん」3.5話 しんどい女としんどい男の話

はいどーも、こんにちは。

 

今更ですが、第1松、3.5話、観ました。

そろそろ話していーい?第2松も出たしね?

ネタバレが嫌だという方は今回パスでお願いします。

 

 しかしですな……

主にBパート「童貞なヒーロー」の話をします、と言いたいところだったのですがタイトルに3.5話って入れたのが詐欺なかんじです今回。いいか!詐欺だぞ!!騙されたくなければ回れ右だ!!お互いのためによろしく!!

 

まぁ3.5話について何というか言いたいことはいろいろあって、例えば松汁ってすごく頭いいなとか、ああここで成功したからトド松はトッティになってしまったんだなとか、一松は自分の感情が僻みであることを当時既に最も自覚していたんだなとか、それこそ大量なんですが、今回は、これ今話さなかったら次いつ話す機会がわからないから思い切ってこっちにいっちゃいます。

 

 

ジェンダー系の話はやるとすぐに喧嘩を売られるのがわかっているのですが、これだけは放送が終わるまでに書いておきたかったんだ。石を投げないでくださいね。

 

私、ずっと疑問で、ずっとわからなくて、「おそ松さん」見てたら理解できるようになったことがありまして、それは

「どうしてネットの男の人たちは女の人が嫌いなんだろう」

という問いです。

 

私が2chやらニコ動やらはてなダイアリーやら、匿名でわちゃわちゃできる場に触れるようになったのはそんなに昔のことではないです。それでも、ちょっとそういう場所に足を踏み入れると、そこには女性を中傷する性的なスラング、ちょっとどころでなく下品なので絶対書きたくないんですが、そういうのにしょっちゅうぶつかります。えっ今そういう話してなくない?っていうところにも、ぽーんと投げ込まれる。

「匿名掲示板というのはある種の無礼講でありリアルのステータスに関わらず面白いことを言えば讃えられつまらなければ容赦なくけなされる場所である」というようなことを誰かの論文で読んだことがあるのですが、まぁそれは理解できるし確かに面白いところではあるとして、それ以上に、発言に女の気配がした瞬間にそういう言葉でこきおろす、っていう事態はいたるところにあります。いや確かに今の発言はつまらなかったけどそれは筋が違わないかと、そこは半年ROMれ的なアレじゃないかと。

それがわりとずっと疑問だったんですよ。何故なんだと。とりあえずそういうネット社会は私が知る中で最高レベルに女性嫌いの空間です。だって同じ発言リアルで聞かないもの。いやもちろん分母やその空間にいる人と私が出会う率の問題はわかっています。わかっているけど、それに疑問を持ちたくなるほど前述の状況に出会うことは多いんだもの。

ついでにさらに疑問を深めていたのは、その同じ空間にいる人々の多くが、完全に女の子なんていらないんだ、というスタンスをとらないということです。女の子が出てくるアニメの話をしたり、アイドルなんかもそこそこ好きだったり、街をゆく可愛い女子高生にはそれなりに興味があったり。どっちなんだ。貴方が言うそのごにょごにょと可愛い○○ちゃんは同じ種の生き物なんだぞ!!何故なんだ!!

 

それでまぁその問題について、私が六つ子見ててなんとなく理解したことは、

「男性だけのコミュニティは女性嫌いだ」

ということです。単純にもうそれだけです。

 

六つ子というのはほとんど完全なる男性社会です。双子ぐらいなら大丈夫ですが流石に同い年の成人男性六人が同じ部屋に暮らしているっていうのは普通に考えてそうそうない濃度です。男子寮とかでもない密度。

それであいつらって、やっぱり女性嫌いなんですよ。

そんなことないだろって?女の子大好きだろって?違うんですよ。彼らが好きなのはその前述したネット社会(冒頭で挙げたような場は実際の利用者割合はもう偏りがないとしても未だに男性社会です)で言えばアイドルや二次元キャラクター、例えば電車で見つけた見知らぬ可愛い女子生徒、その他彼らが好む世の中の「女の子」という何か、なんですよ。ニャーちゃんでありトト子ちゃんでありアイダとサッチンでありレンタル彼女なんですよ。

なんて言うんだろう、こういうふうに書くと世間のアイドルやニャーちゃんが何かに不足している存在のような感じになりますがそうではありません。トト子ちゃんとか最高じゃないですか。彼女は自分がきちんと好きで、自分のしたいようにするのが好きで、男の子に褒められることも怒ることもできる、NOも言えるまっとうな女の子です。

そういう女の子を、ある一定の視点から見えるものと自分に与えられるものだけをすくい取って愛し、それ以外を嫌うか「見なかった」「見えていない」ことにするようになっていく、ということです。

まぁアイドルや二次元の女の子ってそういう「すくい取って愛す」のに向いています。(二次元に至ってはなんせ主体が仮想的なので)

客体と主体、って言っちゃえば簡単なんですけど、なんとなく皮膚感にあわないのでぐちゃぐちゃと書いています。

 

主体的な女性、と書くとなんとなくこう、能動的で活発先進的な、みたいなイメージが勝手にくっついてくるような気がするので言い換えよう、よし「私が私であることを思索する存在」としての女性、をその「存在」ごと愛する、愛さなくてもこの際良いよ認める、というのは当たり前のことなんですが、この部分って習慣がないと案外忘れがちになりますし、そこそこ骨も折れるのでどんどん面倒になります。

その面倒くさい作業をしなくても良い環境、もしくはしなくても責められない環境に置かれた時に、人はその目線を隠さなくなります。「存在」の方はどんどん鬱陶しくなっていきます。

 

あのアニメにはそういう「存在」ごとの愛され方をされるように設計されている女の子が出てきません。おそらく意図的にです。

2話のカラ松がわかりやすい例です。彼はそこにただ立っているだけの女の子を見て、自分に注目している、と考えます。そしてそれは「キモい」行為だと断言されています。

トト子ちゃんはその存在きっちりと丸ごとが描かれていますが、それを六つ子たちはただ崇めます。それを受け入れて楽しむだけの度量が彼女にはあるので問題はないのですが、あれが明らかに狂っていることは、作中でも指摘されていますし、見ている視聴者にもよくわかります。

 

彼らはクズです。その前提は絶対に崩れてはならないし忘れてはならない。そして何が彼らをクズたらしめているのかを見極め損なってはならないと思っています。

私は彼らほど「的確に」ポリティカル・インコレクトな存在はないと思っていて、それを描けるという点でこのアニメはすごいと考える。

 

なんで「童貞なヒーロー」を良い機会としてこんな話をしているのかというと、あの話で「俺たちは間違ってない」→「いややっぱり間違ってるわ俺ら」を繰り返し、結論として「間違っている」に行き着いた上での、「新品」という表現にひっかかったからです。

「新品ブラザース」めちゃめちゃ笑ったんですけど、あれって童貞を新品と言い換えているわけじゃないですか。その目のつけどころが面白くって、でもそうするとすぐに考えてしまうのがその逆なんですよ。「新品」の反対、すなわち「中古」っていうと、 それこそ私が前述した数ある言いたくない下品なスラングのうちのひとつなんですよね。わかんなかったらわかんないままでいてください。制作サイドが作る際に意識したかなんてわかりませんけど、知っているんじゃないかな。

これってものすごく非対称で面白い話で、男は「童貞」であることはマイナス要素の一つで、女性は「非処女」であることがマイナス要素なんですよ。

加えて、女性のことは「中古」っていう明らかなモノになぞらえた呼び方をする割に男の「新品」の方はあんまり聞かないというかその新鮮さが一種のギャグになるレベルには見ません。(たぶん。とりあえずグーグルさんに聞くと「新品 男」と「中古 女」で全然結果が違うので面白い(全然面白くないけど))

 これって、すごく興味深いことだと思いません?

 

性的な非対称っていうのはこのアニメのいろんなところにあります。

最近の「おそ松さん」はなごむのをやめたため、「男はこういうところがダメだ」に加えて、「まぁとは言っても女もこういうふうにダメだよね」もやり始めているのですが(松野松楠とか本当にダメだあれは)それもやっぱりダメさのポイントが違うんですよ。

そのどちらが幸福かなんてことを私は問いたくはありません。ただ、別ベクトルにダメであることは確かであって、事実としてここにある。ひどいとか、見たくないとか、あるべきでないとか、そういうの全部うっちゃって、ある。

 

それらがめちゃくちゃ面白くて、全然面白くないんですよ。笑ってる場合じゃないんですよ。実際のところ。

でもお笑いって、本来そういうものじゃないですか。それがギャグのできることじゃないですか。事実をなごませて見せてくれることがエンターテイメントの重要な要素です。私たちは搾取された女の子達の肉を食べてるわけですよ。パンに挟んでね。

 

いやぁ、謎が解けましたわ。でも解けたからって何が変わるわけでもないんです。なんというか、「分かったからって何が変わるわけじゃない」っていうのは自戒として持っていないといけない。そうじゃないとチョロ松のようにイヤミ先生にボコられるわけです。

でもきっと、わかんなかった時よりだいぶマシになる可能性が出てくるんですよね。その気になれば。もしくは何らかの馬鹿馬鹿しい事態を避けられる可能性も生まれるんですよ。

少なくとも私はそのへんに自分の中で自分なりの決着がついて良かったと思っています。とりあえず、あの日のえええ?なんでこんなことを目にしなければならないんだ?という変な傷つきの分は取り返した気がします。

 

そんなわけで、個人的な気づきの発表会をして今回は終わりです。次回を震えながら待ちます。

 

 

 

お粗末さまでした。